NHK大河ドラマ「江(ゴオ)」

「江」/浅井三姉妹の三女、長女=茶々(淀殿)、次女=初(京極高次の妻)。母は 信長の妹(お市の方)。父は 浅井長政(小谷城主)。
    後、柴田勝家(北の庄落城により 妻 お市と自刃)、豊臣秀吉の養女になる。

「江」/天正元年(1573年・月日は不明)〜ェ永三(1626)年9月15日、54歳。

12歳・最初の結婚、夫は佐治一成(尾張 大野城主)、名字の意に反し徳川方(於・小牧 長久手の戦い)になった為、半年後離婚。

20歳・2回目の結婚、夫は 豊臣秀勝(秀吉の甥、関白 秀次の弟)、文禄元年9月、朝鮮出兵の最中 病没。

23歳・3回目の結婚、夫は 秀忠、

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江の名前は 近江国に関係する。
尚、近江(オウミ)は 琵琶湖に関係し、遠江(トオトウミ)は 浜名湖が関係しています。東北 関東の人が浜名湖は 琵琶湖よりも近いのに
何故 遠い湖なのかは 都が京都にあったことを考えれば解決します。即ち、浜名湖は 当時の都である 京都から見れば琵琶湖より遠いのです。
又、江(エ・コウ)とは 海 或いは 「みずうみ」を意味します、は 海のへ(戸)に関係しています。

又、東鑑 巻 二十四に出てくる「江 右衛門尉範親」の「江」とは 時代に活躍した「大江」氏を指します。大江広元が有名である。
大江氏を略して 「ゴウ氏」と言います。 藤原氏は「藤氏」です、源平藤橘の四氏に次ぐのは在原、清原、菅原、大江、紀、惟宗 也。
尚、清少納言の名字は 「清原」さんであり、紫式部は さんであることは ご存知の通りです。

尚、中国の江(コウ)は 大きな河(カワ)、即ち、揚子江です。しかし、最も大きな河は、黄河です。中国では 河と言えば普通は 黄河をさします。
江=揚子江、河=黄河です。*の漢詩を読む場合の予備知識です。

                              *NHKエンタープライズの漢詩紀行100選には 間違い 及び不適切な部分あり。 

 秀吉が征夷大将軍になれなかった理由
時代以降、征夷大将軍は 源氏でないと 成れませんでした。木下や羽柴では ダメなのです。

信長も 桓武平氏なので 無理でした、尤も 信長は 天皇からの官位を嫌いましたので 望みもしなかったようです。

と云う姓は 時の権力者であれば 金で買うことが出来ました。よって秀吉は 関白になれたのです。

若い頃の信長も秀吉も家康も一時 藤原を名乗ったことがありました。これが名字は実は 源氏ではなかったと云う証拠です。

元々 源氏なら藤原を名乗る必要がありませんから。しかし、江戸時代が300年も続くと 源氏が定着し、一般的には

は 源氏と云う事になっています。よって、征夷大将軍として 江戸幕府を開きます。

尚、鎌倉時代の北條氏は 天下を動かしていましたが 征夷大将軍でもなければ でもありません。執権(執事・家老)です。

将軍は 別に居ました。但し、この将軍は 征夷大将軍ではありません、摂家将軍・宮将軍と言うものです。

 

 愚策による戦争

@蒙古襲来(モンゴリアンであるフビライによる大陸民族を総動員)

Aの文禄 慶長の役(日本の侍による一方的な戦争)

B大東亜戦争(多くの大陸の人々、アメリカ等の若者の命も犠牲になっている事を忘れてはならない)

 

 江の娘 完子(さだこ)は、慶長9年(1604)、九条幸家と結婚することになる。これは江の「公家ならば 戦に巻き込まれずに済む」との
   思いによるものと思われる。又、家と朝廷との仲介役ともなった。
   尚、昭和天皇の母は この九条家(藤原流で五摂家の一つ)から出ます、即ち、大正天皇の后です。名を九条節子(くじょう さだこ)と言います。
   完子の結婚から約300年後の1900年(33年)に皇室に嫁いできます。
   その40年位前の1862年、和宮が徳川家茂に嫁いできます。

 

 江が秀忠に嫁いで 産んだ子は 7人いる。

一番目は 千姫、二番目は 珠姫、三番目は 勝姫、四番目も姫である。初姫と云う。
やっと五番目に 男が生まれる、関が原の戦いの後の1604年である、名を竹千代・後の3代 家光である。
六番目は 忠長、七番目は 和子(マサコ)である。

 姫君の嫁ぎ先は 千姫→名字秀頼、珠姫→前田利常(利家の4男で加賀藩主2代目)、勝姫→松平忠直(家康の子 結城秀康の長男、後の福井藩主)、

初姫→京極忠高(高次の子、後の若狭小浜藩主)、

和子→後水尾天皇(息子は 明正天皇となる)。この事により、お江は の祖母となった。

尚、千姫は その後、1616年、播磨姫路新田藩主 本多 忠刻(ただとき)に嫁す。

 

真田幸村(信繁)は、大坂の陣で名を上げ、全国の諸大名は こぞって その英雄的武将の娘を嫁に迎えることになる。

長女 阿菊(おきく)は、 信州小県郡長窪の郷土 石合重定、或いは 石合道定に嫁す。
次女 於市 早世
三女 阿梅(おうめ)は、伊達氏の家臣 片倉小十郎重綱(後、重長と改名)に嫁す。
四女 阿栗「アグリ」は、蒲生一族(奥州〜伊予の大名)の蒲生源左衛門郷喜に嫁す。
五女 なほ は、出羽亀田藩の第2代藩主・岩城(佐竹)宣隆に嫁す。
六女 阿菖蒲は、伊達政宗の家臣 田村定広(片倉定広)に再嫁す。
七女 於金(おかね)は、もと尾張の犬山城主 石川備前守貞清の子 重正(関が原の後、商人・茶人)に嫁す。

尚、「阿」と言う漢字は 「お」と読み、婦人や子供の名前の上に付ける愛称である。四女のように「ア」と読む場合もあれば
六女のように単に「アヤメ(菖蒲)」と読んで「阿」を発音しない場合もある。
又、ネットの辞典・Wikipediaに載っている六女 阿昌蒲は 間違いである。菖が正しい。誰でも書き込める辞典には 間違いあり。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%94%B0%E4%BF%A1%E7%B9%81      ← コピーして貼り付ける必要あり。

http://www.city.shiroishi.miyagi.jp/section/kikaku/sanada/top7.html

 

           

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