仙台真田氏が真田幸村の子孫でない理由

 

1、 仙台真田家の始祖 守信の父は 幸村ではなく、政信と 江戸時代の伊達世臣家譜に出ております。

「政信の子、沖のじょう守信」と。 


2、 家系の専門家が記した宮城県姓氏家系大辞典(1994年 角川書店発行)には

政信の子 守信は 父の死後、白石の片倉家に身を寄せた」と有り。


3、 新編 姓氏家系辞書(著者は 家系学会の丹羽会長)に

「幸村の子 大助は 大阪落城の際、秀頼に殉じた、 従って この系は絶えた」と有り。

即ち、幸村の子 大八は 早世しており、真田守信と 大八は 別人です。


4、 子孫と称す 真田〇〇〇が持っている「家の書置き(蔵王町のパンフレットに掲載)」にも
     守信の父は 幸村ではなく、「内記(政信)」となっております。

尚、蔵王町 作成のパンフレットには 間違いが多数 載っております。


5、 白石城主の子孫で 片倉氏 第15代当主・男爵 片倉信光氏が 昭和17年に 発行した

      「真田幸村の後裔を探る」(東京帝国大学 史料編纂掛編集)でも

真田守信は 真田昌幸の弟 信尹の孫になっていて、親父は 政信です。


以上、 5拍子揃って 守信の父は 幸村ではなく 政信です。

仙台真田氏 仙台真田氏

そもそも 仙台真田氏の子孫 及び 蔵王町が 拠り所としている説である仙台人名大辞書は 辞書とは名ばかりで

明治に養子に入った子孫にインタビューして載せた本であって 家系の専門書ではありません。

その明治生まれの子孫がデタラメな講談本の内容を 自家に都合よく しゃべったのです。

その子孫は 萱場家からの養子であり、名前も パンフレットでは 徹寿となっているが 謄本では 轍治で、字が違っていて、人が違う可能性有り。  

 

誰でも書き込めるネットの辞典ウイキペディアの間違いページの典型は 仙台真田家である。


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