真田大八 早世の証し
下記のように大八が夭折した事は 幕末に記された「真田家の正史『真田家御事蹟稿』のうち、信繁(幸村)の伝記である 『左衛門佐君伝記稿』」の53ページ上段に記されていることである。これは蓮華定院の記録とは別で、 1598年から1681年までの見聞録・玉露叢に載っている史実である。正史とは 講談本のようなフィクションではなく 真田本家である松代藩の藩主が家老であり、学者であった河原綱徳に編纂させた権威のあるものである。
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