真田幸村の直系子孫はいません
「直系子孫」として 本を出している昭和生まれの人(真田T)がいますが この人は先祖が仙台真田氏で
江戸時代には 陸奥国刈田郡矢附(現在の蔵王町)に領地を持っていた為、「私は その仙台真田氏の子孫」と言う事で
家に伝わる書置きを蔵王町の教育委員会に提出した。町は その真田 Tを仙台真田氏の子孫として認めた。
蔵王町のホームページには「江戸時代には真田信尹(さなだのぶただ)の後裔を称していた」と記されています。
https://www.dokitan.com/sanada/site/01/index.html
ところが その後、蔵王町の町おこしの為に 真田幸村の子孫とした方が都合が良いので、その書置きには
「幕府に はばかって 祖父を幸村から内記に偽って記したのだ」と説明し、町を信用させてしまった。
江戸時代は 信尹(幸村の叔父さん)の後裔が どうして 昭和になって 幸村の後裔になれるのか。
仙台真田家の2代目 辰信が延宝6年に記した書付には
ハッキリと 祖父の名前を眞田内記(政信)と記されていて 幸村(信繁)と なっていません。
これは 伊達世臣家譜とも合致しています。伊達世臣家譜にも政信の子
沖の允「守信」と記されています。伊達世臣家譜は 権威のある古文書です。
この頃は 幕府も代変わりしていて 幸村も人気者になっていて、幸村の名を消す必要のない時代でした。
よって 明らかに仙台真田氏は 真田信尹(幸村の叔父さん)の子孫です。
尚、真田T が よりどころにしている仙台人名大辞典の真田の項は デタラメが判明しております。
http://www.myouji.org/sendaijinmeidaijisyo2.htm
戦の最中に「敵の大将の娘を篭で お出迎え」は あり得ません。
伊達政宗 謀反となり、伊達藩 お取り潰しになる行為です。
要するに「こうデタラメだといっそう面白い(幸田露伴)」と言う講談本を基に記された仙台人名大辞書の真田の項は 間違いが載っていると言う事です。
尚、家系の専門家は 以下のように仙台真田氏を幸村の子孫としていません。
http://www.myouji.org/sendaisanada-shinjitsu.html
仙台人名大辞書を見た、姓氏家系大辞典の著者 太田亮先生は 内容がデタラメなので 陸奥の仙台真田氏 そのものを削除しました。
要するに 明らかに 真田T は 偽者なのです。
偽者だから偽物を展示したのです。例えば、平成11年上田市の展示では 鎧及び足元の采配です。右のは大阪の大丸で展示。鎧が違います。
死んだ人が どうやって采配等を持ち返ってきたのでしょうか。
討ち取られた時に持っていた采配が上田市に展示出来るわけがありません。でも 展示されました。
本物は 討ち取った福井藩士 西尾仁左衛門の地元、 福井県の市立郷土歴史博物館にあります。
南蛮鎧や刀などは 平成時代に業者から買って 取り揃えたものです。だから鎧も2つも3つもあるのです。
https://www.myouji.org/sanada/ueda/sanadayukimuraten.html
尚、江戸東京博物館は 仙台真田家の物は 幸村の遺物ではないとして 展示を断ったことがありました。
https://www.myouji.org/sanadayukimuranonanbanyoroi-nisemono.html
真田T は デタラメな本も出して 当時の眞田の正史や伊達世臣家譜、片倉代々記等の貴重な古文書の方が
間違っていると 思わせるに至っている。これは大問題です。
真田T は、大阪の大丸などでは ニセの鎧などを有料展示しました。これは 犯罪です。
こんなデタラメな本も出して 国民を騙し、金儲けをしているのです。
仙台真田氏の始祖 守信が幸村の子でない理由へ
真田幸村展(平成11年・上田市博物館)時のパンフレットの内容の一部へ
昭和23年生まれの当主は デタラメな本も複数出していて 困ったものです。
ニセ者 及び ニセ物 は ここからも断定できます。
真田丸の最初に戻る
名字の最初に戻る