宝島社「真田幸村の真実」と言う本の中身は 真実とは ほど遠く 間違いが多い


この本の筆者は 時代的背景をとらえていない。1615年頃は 将軍は 秀忠に代わっていて、10年が経ち、家康が死んでも 伊達の天下は 有りません。

又、徳川方の各諸将は、手柄を立てて、家康から褒美と名誉を貰おうとしていた状況です。敵の大将の家族の保護は 謀反になります。

伊達政宗が 天下を狙っていたのは 数十年も前の事です。

寧ろ、伊達家は 徳川氏との繋がりを重要視していた。その証拠に 前年の冬の陣の功により、伊予宇和島 10万石を家康から貰っており、

政宗の二男 忠宗に秀忠の娘・振姫を妻とする話が持ち上がっていた。そんな密約をするはずがありません

敵の下級武士との接触の噂でも たつだけで 嫁入り話は 破談です。「伊達 謀反」となるからです。

ましてや 大将 幸村の子供 5人の保護など するはずがありません。

幸村の子女5人の保護と記されていることも デタラメです。保護されておりません

NHKの真田丸で「伊達政宗が幸村の妻子を保護したシーン」がありましたが それもデタラメと判明しています。政宗は 何が軍令違反かを知っていた。

密約等 無かった証拠に 翌年 家康は 亡くなりました。しかし、徳川の天下は 揺るぎませんでした。

同年 幕府は 「一国一城の制」を定めました。特例として 伊達藩には 城が 二つ 許されました。仙台城の他は「白石城」です。

この城は 伊達家の重臣 片倉氏(小十郎)の居城です。夏の陣時、幸村の娘 阿梅は 略奪(乱取)された後、数年後に後妻に 入ります。

その縁で 妹たちも 援助されます。

以上が 本当の真実です。
 

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