真田守信 関係の年譜(伊達世臣家譜等による)
1547年 | 天文16年 | 真田昌幸 生まれる |
1547年頃 | 真田信昌(信尹・後の隠岐守)生まれる | |
1566年 | 永禄9年 | 真田信幸(之) 生まれる |
1567年 | 永禄10年 | 信昌、武田信玄の命により 加津野昌世の養子になる(加津野昌春)。 |
1570年頃 | 加津野出羽(政信)生まれる、(加津野家の子供の為、寬政重修諸家譜には出てこない、幸政とは別人、この時 昌春、23才前後 ) | |
1573年4月 | 天正元年 | 武田信玄没 |
1575年5月 | 長篠の戦い。加津野昌世 戦死す。 | |
1577年7月 | 天正5年 | 加津野昌春の嫡子 出羽が勝頼の命により 加津野氏に入嗣す。天正五年七月十三日の勝頼の判物には「加津野一右衛門尉殿」とあり。 |
1582年3月 | 天正10年 | 武田家滅亡す。 |
1582年9月 | 加津野昌春、徳川家康に仕える(真田に復す)。 | |
1582年頃 | 昌春(真田信昌)(信尹 35才)の子 真田幸政 生まれる(1600年に家康に閲す、御書院番) | |
1591年 | 天正19年 | 真田信昌(信尹)、徳川から変えて蒲生氏に仕える |
1598年 | 慶長3年 | 信昌(信尹)、徳川に帰参す。 豊臣秀吉没す。 |
1600年 | 関ヶ原の戦い | |
1609年 | 慶長14年 | 真田昌幸、高野山の九度山にて 没す |
1615年 | 元和元年 | 大坂夏の陣、幸村の娘 阿梅、片倉小十郎重綱に略奪される |
同年頃 | 政信の子 守信、生まれる。 | |
1623年 | 寬永の始まり | 将軍は 三代目の家光。この頃、幸村は「日の本(ヒノモト)一の武将」として人気が出る。 |
1626年 | 寬永3年 | 白石城主の片倉重綱(後の重長)の妻、亡くなる。阿梅、自分が幸村の娘であることを明かす。 |
1627年 | 〃 4年 | 幸村の五女 御田の方、亀田藩主 岩城宣隆に嫁ぐ(側室~正室)。 |
1628年 | 寬永5年 | 阿梅、白石城主の片倉重綱(後の重長)の後妻になる。3,4年して 守信のいる甲信地方に阿梅が片倉氏の妻なっている情報が伝わる。 |
1632年 | 寬永9年 | 真田隠岐守信昌(信尹)没す、86才、墓は 山梨県北杜市の龍岸寺。 |
同年頃 | 加津野(真田)政信、没す | |
1633年 | 〃 10年 | 真田守信、東北白石の片倉家に身を託す |
1636年頃 | 寬永 中 | 守信、伊達藩主 忠宗に召される。真田を隠す必要があれば ここで改姓していた。しかし、真田で仕えた。 |
1640年 | 寬永 17年 | 守信、忠宗から、徴(とりたての あかしとして)、廩米 若干を賜った。 |
1655年 | 明暦中 | 守信、江戸留守居役 |
1665年頃 | 寛文 5年頃 | 守信、改姓して 片倉氏を称す。白石城主の片倉氏の願いによる(明和6年の勤巧書に記されている)。 |
1667年 | 寛文 7年頃 | 守信、武頭となる |
1670年 | 〃 10年 | 守信、没す、墓は 白石の当信寺にあり、片倉四郎兵衛守信と彫られた。白石に望郷の念があった為、仙台から遥か離れた白石に墓を作るよう遺言していた。 |
1673年 | 延宝元年 | 守信の子 辰信、江戸屋敷にて、信州真田藩主の幸道に羽織の家紋 六連銭の由来を尋ねられる |
1677年 | 〃 5年 | 辰信、江戸番組 |
1711年 | 正徳 元年 | 辰信、改姓して 真田に復す |
* 以上により 伊達世臣家譜に記されている真田守信(片倉)の親父が真田(加津野)政信(内記)で、祖父は真田信尹(隠岐守)であり、伊達世臣家譜が正しいことが分かります。
尚、「守信は幸村の子だが幸村の子を隠す為に信尹(隠岐守)の孫として、片倉氏 及び伊達家が申し合わせて
伊達世臣家譜に記した」
と云うのは 全くのデタラメです。守信が白石に行った時は
寬永の時代になっており、幸村人気で 娘たちは次々と大名に嫁いだ後であり
幸村の息子なら堂々と胸を張って 「私は幸村の子」と名乗れた時期であり、隠す必要がありませんでした。
仙台真田家に伝わる家系の書付にも内記とはっきり書かれていて、記された1678年(延宝6年)には
明確に幸村を隠す必要のない時代になっていました。
よって、守信の親父は 幸村ではなく、内記、即ち、政信です。
南蛮鎧もニセ物を幸村所用と
ウソを言っている子孫(平成時代は 都内の杉並区在住)ですので デタラメが多いのです。
片倉代々記に「先妻死後、幸村の女(ムスメ)なる事を知りて、後妻とす」と、あるにより、阿梅が幸村の子である事が分かったのは寬永3年以降である。
尚、古文書と云う物は、虫が付いたり、墨が付いたりすると その文字が読めなかったりする。具体的には
孫の文字の前が虫食いの場合
曽孫、玄孫と書かれている可能性があるので 後世の人は 転記した時に 数世の孫と記す場合があります。
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