真田政信は 真田信尹(信昌)の息子であり、真田守信(仙台真田氏の始祖)の親父です

以下の 伊達世臣家譜で明らかです。

 

また 以下は真田信尹が加津野家に養子に行っていた時に出来た子(幼名 出羽)がいた事の古文書です。
この出羽が後の政信です。若い頃は加津野を名乗っていたので 幕府の系図から省かれた。

よって、仙台真田氏は 真田幸村の子孫ではありません、幸村の叔父さんの子孫です。

始祖 守信が仙台に行った頃は 寬永の時代になっており、幸村人気で娘たちが大名家に嫁に行った後であり

幸村の娘、幸村の息子を 堂々と名乗れるようになっていた時代です。

「守信をわざと信尹の子孫とした」と云う仙台真田の子孫の説は デタラメであり、伊達世臣家譜には ありのままが記されています。

仙台真田氏は 幸村の子孫でないので 幸村使用の武具も持っているはずもないのです。

蔵王町の館に展示された 槍や刀は 代々伝わっていたのなら 昭和33年に出来た「銃砲刀剣類所持等取締法」に従い、

その頃 宮城県の公安委員会から許可証が出されているはずです。しかし、許可をとってない。

取っているのは 東京都である、東京に住む子孫が平成時代に購入した後、東京都の公安委員会から許可を得たのです。


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