真田幸村の子孫と称する男、実は ニセ者で 展示物も ニセ物だった。

蔵王町、大阪大丸で 展示した 槍、刀、は美術品としての認定もなく、真田幸村所用の物でもありません
代々400年伝わっていたのなら、 昭和33年に銃刀所持法が出来ていますので その頃 許可証を得ているはずですが得ていない
何故 得ていないかと言えば その頃は 槍も刀も無かったから申請する必要がなかったのです。
仙台真田家は 昭和の時代だけで 3回も引っ越しており、大きくて 長く、重いものがあれば 気づかぬわけがありません。
親父が亡くなった後に業者から買ったのです。


現在は 東京都の杉並区に在住ですが 本籍は 仙台市若林区新弓ノ町40-3、です。昭和57年12月に太白区恵和町33番12号に転居。
昭和の時代に住んでいた 宮城県の教育庁には 届け出されていません。平成時代になって 槍や刀を手に入れたので 都の教育庁に届けたのです。

こういう自慢の物が代々伝わっていたのなら 当主の少年時代に一緒に白黒写真を撮っているはずです。
しかし、無い、この幕末の先祖の絵にも 描かれていない。幸村所用の物で無い事がわかります。

蔵王町では 平成21年(2009)から仙台真田氏の歴史講演会をやっているが まだ この時は 南蛮鎧の展示は無かった。

平成25年(2013)から突然 南蛮鎧が出てきました

平成24年(2012)は 講演だけで展示物なし、http://www.dokitan.com/event/h24.html

平成25年(2013)の展示物 http://www.dokitan.com/sanada/2013/01.html    鎧が突然出てきたが、鑓は無かった。

平成26年(2014)の展示物 http://www.dokitan.com/event/20140420.pdf    幸村の鑓は無く、刀もないが 幕末の人の短刀有り。

平成27年(2015)の展示物 http://www.dokitan.com/event/20150410_a.pdf     鑓が増えた

平成28年(2016)の展示物 http://www.dokitan.com/sanada/project/28/index.html    去年のとは 鑓も違えば 刀が増えている

* あら不思議、年を追うごとに物が増えているのです。これらは 全部 業者から買っているからです。

 

大坂の大丸店で展示された「金剛兵衛源盛高 作」と云う刀だが これも幸村所用ではなく ニセ物、
尚、蔵王町で 美術品として 認定されているのは 1点だけです。上記刀は どこから出てきたのか、信州の眞田本家にも無く、
九度山、大阪城の焼け跡から出てきたという証拠がなく、幸村は死んで 仙台に持ち帰っていないので 町や宮城県の調査にも 引っかからない物なのです。
お金を払って入場した貴方は ニセ物を見せられたと言うことです。

上田市立美術館の館長曰く、「大河ドラマ眞田丸を期に研究が進んで、仙台真田家が信繁(幸村)直系かどうかは 学術的には不明、と言うことになっています。
従って 学術的な企画展では、仙台真田家の関係資料は使用されていません。
例えば『NHK大河ドラマ2016 特別展 真田丸(江戸東京博物館・上田市立美術館・大阪歴史博物館)』では、仙台真田家関係の資料は一切使っておりません」と。

尚、真田幸村の子孫と称する男は  デタラメな本も出しています。

* 上記関係のものについて 小生 藤原がメールで質問した時には 「二度とメール お断り」、その直後にサイトを閉鎖。

      また、眞田本家筋の方が質問事項を配達証明付きで送付しても無回答。
    すべてニセものなので 答えられないのです。

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