宇都宮(ウツノミヤ) | |
解説 | 宇都宮氏は天下の大族にして、北は奥羽より
南は九州に及ぶ、一族分派多し。 その発祥地は 下野国宇都宮にして、粟田関白道兼の曾孫 宗圓が 宇都宮座主となりしに、はじまると云う。宇都宮に二荒山神社有り、宇都宮大明神と云う。 宇都宮の名はこの宮より来る。 宇津宮もウツノミヤなり。 関東古戦録に「昔 崇神天皇の皇子 豊城尊 東征として 関左へ下向ましまし、この地に 屯せらるる事 三年にして、近国の悪党 三千余人を誅戮し、庶民安堵の化をなさしめ、 然して 大己貴命、彦根(大己貴命の子)、事代主(上に同じ)、天種子命の四座を勧請して 宇都宮大明神と崇め 東国の鎮守たらしめ給う、云々」とあり。 * 豊城尊は、古事記には「豊木入日子命」、日本書紀には「豊城命」と記されている宮様であり、 崇神天皇の第一皇子です。 大己貴命(おおなむちのみこと)とは 大物主命や大国主の別名であり、宇都志国玉神(うつし くにたまの神)とも云う。 これ宇都宮の由来なり。 *要するに、大昔、崇神天皇の皇子(豊城尊・宮様)が悪党退治に関東へ下った時に駐屯した場所が小高い山であり、 大己貴命(おおなむちのみこと・宇都志国玉神)等を勧請した為に、その地を宮宇都と言うのは 恐れ多いので、神を先にして 付けた名前が宇都宮であり、その小高い山(ふたあらやま・みょうじんやま)に社(やしろ)を設けて、その社を ふたあらやま神社、或いは 宇都宮大明神とした為、その地を「宇都宮」と、呼ぶようになった。 尚、 大国主は 出雲大社の祭神でもあり、日本全国の神社に広く祀られている神でもある。 又、天種子命は 神武天皇 東征時の神。 又、宇都宮大明神は 二荒山(ふたあらやま)神社の事でもある。 尚、日光にあるのは 「ふたらさん神社」と言い、別の神社です。 二荒山(ふたあらやま)神社の方が 古くからある神社です。宇都宮のをふたらさんと記すのは 間違いなり。 * 宇都宮の由来は 諸説あるが 一番妥当な説を記しました。 崇神天皇は 第十代、神武は 初代の天皇です。 * 関東古戦録は 1700年代の初めの古文書、 *山は、昔から神の世界とする考え方があった。古代ギリシアでは オリンポスを始め 山は神々の世界であり、日本の記紀神話にも、 山は 神が住む所であることは 「天香久山(あめのかぐやま)」などの表現からも明らかである。山は 天上の世界から神が降臨する場所と 考えられており、現在でも、神社の祭礼に使われる「ダシ」は「山車」と書く。 尚、名字としては 明治になって、宇都宮大明神 或いは 宇都宮城 或いは 宇都宮の地を 縁として 宇都宮を名乗った先祖も居た事でしょう。 |
● 藤原北家道兼流 (或いは 云う、中原氏)- - 尊卑分脈は下記の如し。
藤原兼隆-兼房-宇都宮宗圓-宗綱-朝綱-成綱-頼綱-泰綱-景綱-貞綱┐
┌――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└公綱-氏綱-基綱-満綱=持綱-等綱-明綱=正綱-成綱-忠綱┐
┌――――――――――――――――――――――――――――┘
└興綱-尚綱-広綱-国綱-義綱-隆綱-千安丸 水戸家に仕え知行三千石
家紋 三頭右巴、 室町時代関東八家の一也。
但し、朝綱の紋は、左巴と云うものもあり。武家系図に「宇都宮、藤原姓、紋、左巴、鳥居、神垣」と。
*宇都宮氏の居城は 宇都宮城にして、子孫代々 其処に住すれど、国綱、慶長二年
● 豊後の宇都宮氏- - 上記の分家。尊卑分脈に
「宗圓-宗房(中務丞、四郎、姓を中原に改む)-信房(大和守、所衆)-助信(新左衛門尉)-景房
-頼房(大和守、九州奉行)-高房(常陸介、改
冬綱、次改 守綱)」とあり。
宗綱の弟
宗房の後、天文永禄の頃、鎮房ありて中津築城、当地方に威を振るいしが、黒田官兵衛(孝高・如水)に滅ぼされる。
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