三法師 − − − 天正八年、信忠(信長の子)の子として、岐阜城に生まれる。
信長 本能寺の変の時、信忠、二條御所で自害。その直前、前田玄以に三法師を
清洲城に移して守護するよう遺命した。清洲会議の結果、秀吉に推されて織田家の
継嗣に決められ安土城に移ることになったが、織田信孝(信長の三男)に反対されて
岐阜城に留まる。
秀吉は岐阜城を攻めて三法師を引き取り、安土に移して織田信雄(信長の次男)に
後見させた。その後、岐阜に移り、秀吉の秀の字を与えられ、秀信と名乗る。
文禄元年、岐阜城主となって十三万石を領した。
関ヶ原の戦いでは石田三成に組し、東軍を木曽川に防いだが、敗れて岐阜城に
篭城す。城は、福島正則、池田輝政らの攻撃を受けて陥落。自刃しようとしたが、
正則に止められ、加納の円徳寺に入って剃髪した。その後、高野山に幽居し、
慶長十年、病死した。二十六歳。
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