毛利氏のルーツ
毛利さんの名字の由来は わかっているだけで 25通り位ありますが ここでは 中国地方
特に山口県の毛利について記します。
その他 詳しい事は 有料ページを ご覧下さい。相模国の毛利庄から起こった別流の毛利さんも
います。
3,大江姓 - -相模国愛甲郡毛利庄より起こる。家紋、一文字に三星、澤瀉
尊卑分脈に
大江広元┬親広 ┌基親-時元(丹波守)
└季光-経光┴時親-貞親-親衡-元春-広房-光房-熈元-豊元-弘元┐
┌――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└┬興元=元就┬隆元――――――――輝元――┬秀就-綱広┬吉就=吉広=吉元-宗広=重就-治親┬齊房=齊凞┬齊元┬=齊広=敬親=元徳-元昭
長門・萩、 約三十七万石 明治 公爵
└元就 ├元春(吉川氏) │ └吉広 └齊凞 └齊広└敬親
│ │
├隆景(小早川氏)-秀秋 │
│ └就隆┬元賢=元次┬元堯=広豊-広寬-就馴-広鎭┬元蕃-元功-元秀 周防徳山四万石 明治 子爵
├元秋 └元次 └広豊 └元徳
│ ┌元寬-元周
└元清(穂井田氏)-秀元┬光広-綱元┬吉元-元朝=元矩=匡広┬師就=匡敬-匡満=匡芳-元義┴元運=元周-元俊-元雄 長門府中 五万石
明治 子爵
│ └元矩 └匡敬
│
│
└元知┬元武
└匡広-政苗-匡邦=政明=元世=元承=元純=元忠-元恒 長門清末 一万石 明治 子爵
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西国太平記に「大膳大夫 大江元就は、痼疾
年々に積もり、元亀二年六月十四日、吉田郡山の城にて 捐館せらる。春秋七十五歳。幼名
少次郎、
三千貫の所領にて吉田の城に居り、城を攻めて抜かずと云う事なく、戦闘に勝たずと云う事なし。終には、
但馬、因幡、伯耆、出雲、佐渡、石見、隠岐、播磨、美作、備前、備中、備後、安芸、周防、長門、すべて十五箇国を掌握せらる」とあり。
*大江元就とは 毛利元就のことで、本姓で表記したもの。
*捐館とは、エンカンと読み、住み慣れた居館を捨てて、この世を去る意味。死去の尊敬語。
* 「名字の由来」