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2016年12月15日

 

直虎は男だった!? 京都で新史料

◆今川家の家臣の息子か

井伊次郎に関する記述が見つかった新史料=京都市東山区の井伊美術館で

 戦国時代の遠江国・井伊谷(いいのや)(現浜松市北区引佐町)の領主で、来年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公、井伊直虎の新たな史料が見つかったと井伊美術館(京都市)が発表した。女性として描かれている直虎が、井伊家を従えていた今川家の家臣の息子だった可能性が高いという。

 史料は「守安公書記・雑秘説写記(ざつひせつしゃき)」と題する三冊の冊子。井伊家が彦根藩を治めていた一六四〇(寛永十七)年に家老の木俣守安がおばたちから聞き書きした内容を、江戸中期に子孫の木俣守貞が書き写した。

 この中で、井伊谷が複数の武士による勝手な支配で鎮まらないため、今川氏真が、家臣の新野(にいの)左馬助親矩(ちかのり)のおいで、同じく家臣の関口越後守氏経(うじつね)の子を井伊谷の領主の「井伊次郎」とし、治めさせた−との記述があった。

 井伊次郎は一五六三(永禄六)年ごろから五年ほど領主を務めたと推測される。今回の史料に「直虎」との記載はなかったが、地元の神社に伝わる古文書には、関口との連名で「次郎直虎」の名前と花押があることなどから、「関口の息子である井伊次郎が直虎」と考えられるという。

 通説では、井伊家菩提寺(ぼだいじ)の龍潭(りょうたん)寺(浜松市北区)に「次郎法師」の名前が書かれた寄進状があることや、住職が江戸時代にまとめた「井伊家伝記」などから、「次郎法師」という女領主が直虎で、初代彦根藩主の直政の養母とされてきた。冊子には「次郎法師」の文字や、直政と井伊次郎との関わりは書かれていなかった。

 冊子は同館の井伊達夫館長(74)が、約五十年前に滋賀県彦根市内の古道具店で買い、今年八月末に記述を見つけた。井伊館長は「次郎法師が実在したのは間違いないが、今回の井伊次郎とは別人。偶然記述を見つけた時は背筋が寒くなるほど驚いた」と話した。

 新史料のほとんどが木俣守貞の字だと鑑定した母利(もり)美和・京都女子大教授(日本近世史)は「傍証と照らし合わせても、直虎を男と示す決定的な史料。最近の研究で、井伊家伝記には史実と違う部分があることも分かってきており、史実を再整理すべきだ」と話している。

(京都支局・芦原千晶)

【新史料に書かれていた井伊次郎関係の記述(抜粋)】

○井伊谷は新野(左馬助)殿のおいである井伊次郎殿に与えられた。それゆえ井伊殿は新野殿が公私にわたり世話指導にあたった

○関口越後守(氏経)殿は後に三休となった。この人の子が井伊次郎で(今川氏真より)井伊谷をたまわった

○井伊谷はそれぞれ力を持った武士たちが勝手に所領を取り合い鎮まらないので、関口越後守の子を井伊次郎とし、井伊谷をあてがった。しかし井伊次郎は若かったので、戦では本陣で井伊谷の衆を新野左馬助が統率、補佐した

◆地元関係者は困惑 研究者ら冷静

 井伊直虎は、もともと史料が数少なく、多くが謎に包まれている。今回の発表に地元関係者は困惑する一方、研究者らからは冷静に受け止める声が相次いだ。

 「直虎が男だとは絶対考えられない」

 こう断言するのは、直虎を三十年にわたり研究する郷土史家で版画家の熊谷光夫さん(82)=浜松市東区。「かなり後の時代に書かれた記録で、聞き間違いも出てくる」と信ぴょう性を疑う。龍潭寺の武藤宗甫(そうほ)住職(61)は次郎法師を女性と示す戒名の存在に触れ「寺では代々、次郎法師と直虎は同一人物で女性と解釈していた。男という仮説は聞いたことがない」と話す。

 浜松市は大河ドラマ放送に向け、女性のマスコットキャラクター「出世法師直虎ちゃん」を作ったほか、北区やJR浜松駅近くに情報発信拠点を設けて観光客を迎える準備を進める。市の山下文彦観光・ブランド振興担当部長(55)は「検証は専門家に委ねる。地域活性化や観光振興にしっかり取り組む」と強調。NHK広報局は「直虎に関しては諸説あると考えており、ドラマはあくまでもフィクションで、影響はないと考えている」とコメントした。

 旧引佐町史の井伊家関係の執筆者で、大河ドラマの時代考証も担当する静岡大の小和田哲男名誉教授(72)は「井伊家家臣の記録に、関口の子が井伊次郎を名乗ったと出てきたのは興味深いが、直虎とは断定できず、次郎法師と井伊次郎の二人が同時に存在したことも疑問」と説明。「現段階では、直虎が女性という通説の方が蓋然(がいぜん)性が高い」とみる。井伊家の歴史に詳しい一橋大の夏目琢史助教(31)は「井伊家伝記も今回の記録も二次史料。細部まで調べる必要がある」と話す。

 国際日本文化研究センター(京都市)の磯田道史准教授(45)=日本近世史=は「井伊家伝記は江戸時代中期の成立だが、新史料は聞き書きされた時期が古く、井伊の筆頭家老家の記録であり貴重。武田軍に占領された井伊谷の様子など記述が詳しく興味深い」と注目する。

 ただし次郎法師が女性であることは動かないとし「彼女が直虎と名乗ったかどうかが問題になりはじめた」と提起。新史料の井伊次郎について「この人物が直虎と名乗った記述はない。井伊家を継いだなら、その後どこにいったのかが分からないなどの問題もある」と、関係系図を掘り起こす調査の必要性を指摘した。

 

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