天正5年(1577)、その4年後に 本能寺の変が起きます。
天正5年、小寺氏と毛利氏が激突(英賀合戦)
天正6年になると、有岡城の荒木、三木城の別所、志方城の櫛橋(官兵衛の妻の父)、御着城の小寺までもが信長を裏切ることになった。
官兵衛は 荒木を説得する為、有岡城に 赴く。しかし、前の主君 小寺政職は 密かに荒木に使者を送り、官兵衛殺害の依頼をしたと云う。
よって、官兵衛は 命こそ取られなかったが有岡城に約1年間幽閉されてしまう。
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