紀伊国の浜口さん

 

  当国在田郡の浜口村より起こる。続風土記、広荘広村の安楽寺條に

「濱口民部少輔長宗の後、左衛門太郎安忠、明応年中、当地に来り建立す」とあり。

当村の地士に濱口儀兵衛成則(公輿)あり、梧陵と号す。安政地震後、発生せし

大津波から村民を救う為、稲に火をつけ暗闇を照らし、高台に避難させし事、

「稲むらの火」として有名なり。

又、その後、同族の濱口吉右衛門と共に堤防を作り、橋梁を修理し、道路を治す等、

民利を興す事 はなはだ大なり。明治十八年 ニューヨークにて客死す。

 


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