深谷 盛房(1767年生まれ) 京都町奉行−64才〜69才 勘 定奉行 − 70才〜74才 大 目 付 − 77才〜87才 (海防掛・道中奉行も兼務) |
左−深谷盛房(86才、大目付 兼 海防掛)、 中央−徳川斉昭(53才)、 右−老中・阿部正弘(34才) |
篤姫と その教育係、幾島 |
一戦を交えてでも 「外国船を打ち払うべし」との攘夷を唱える水戸の斉昭に対し、深谷盛房は、穏便に済ませるよう主張。
日米和親条約(1854年3月)の締結を見届けた後、高齢にて永眠す(87才)
徳川斉昭60才、老中 阿部正弘38才で永眠。
*あの天下のご意見番 大久保彦左衛門(1560-1639年)は、79才の生涯でした。