安井氏(名字)
寬政系譜に「安井、家伝に曰く、その先は 畠山播磨守義熈の庶流なり。
河内国の渋川郡及び播磨国の安井等を領せしより 渋川、また 安井を称す。安井六蔵次吉、
囲碁によきを以って 駿府に於いて東照宮に近侍し、食禄を賜い、後、算哲と号す。男
春海に至り、
渋川に復す」とあり。
江戸時代初め、渋川春海(六蔵、春哲、算哲、順正、助左衛門)あり、幕府の碁方、
安井算哲の子として京都に生まれ、数学・暦法を池田昌意に学び、天文暦学を
岡野井玄貞に学び、垂加神道を山崎暗斎に、土御門神道を土御門泰福に学ぶ。
姓を保井、更に渋川と改む。天文・暦学に通じ貞享年間、宣明暦の誤差を指摘して、
日本人の手になる最初の暦である貞享暦を作成、また、幕府の初代 天文方となる。
その一族の裔、安井仙角(八段)、算英は、明治になり七段なり。
又、幕府芸者書附に「百俵、天文職、保井算哲、後に渋川助左衛門と改む。
今程
二百五十俵、越後、天文職、渋川右門」と。
名字に戻る