名字 

荻   野

解説

相模国愛甲郡に荻野郷、伊勢国安濃郡に荻野庄、岩代国耶麻郡に荻野村あり、

これらより名字を称す。

尚、上記の他に 山形県西村山郡大江町、福島県耶麻郡高郷村、新潟県西蒲原郡弥彦村、

山梨県北都留郡上野原町、千葉県八日市場市、神奈川県横須賀市、兵庫県伊丹市、

広島県比婆郡西城町、佐賀県佐賀市にこの地名あり。

分派氏族

 

 

4,武蔵の荻野名字 風土記稿榛澤郡條に「荻野氏、名主なり、先祖は 荻野家繁とて、世々 由良家に

       仕えしものといえり。当村大日堂 天正十一年の棟札にもその名見えたれど、家系を伝えざれば

       詳なる事は知らず。今の名主 七郎兵衛の曾祖父 七郎兵衛、ェ保ニ年の洪水、宝暦元年の凶作に

       麦百俵、この辺の村村に与えて助力せり。祖父七郎兵衛の代に至りて、又、安永九年六月、洪水

       秋作ことごとく水腐し、村内困窮に及びしに、麦二百俵を助力し、その上 秋の貢ぎ物をば

       皆に代わりて納めしかば、御代官 布施弥一郎の奉りにて、賞行われ、銀子十枚を賜い、その身

       一代帯刀を許され、苗字は子孫まで免じ賜る。その後 天明三年、浅間山噴火おびただしく

       砂降りしかば、泥土をことごとく、田間に押し流しぬ。農民の困窮言語を絶し、この時も

       己が力を以って手当てし、すたれんとせし田地を起こし返えしかば、又、賞せられて銀七枚を賜る。

       同年利根川修理のことに預かり、心を用いる事大なれば、又、銀十枚を賜うと云う。

       今の七郎兵衛に至りても、村内困窮なる者あれば、米銭を与え、飢渇を救い、他村の窮民などにも

       米銭を与え、その足らざるを補うと云う」と。

 


 

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