町田家嫡流の系図

 

秦の始皇帝 その裔、秦氏、その裔、京都に来りて、惟宗朝臣を賜る。惟宗氏、世々 明法博士、

惟宗広言、その子 忠久、

 

忠久は、源頼朝の落胤と言う人あれど、そのルーツの参考として

建久八年十二月政所下文に「右兵衛尉惟宗忠久」とあり。後、島津を称す。

島津氏の二代忠義の七男忠経の三男忠光、薩摩国日置郡町田村を領す。

 

島津忠久−忠時(忠義)−忠経−町田忠光−光俊−経俊−道俊−実氏−助久−清久−忠良−成久┐

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 └俊久−高久(成久の弟)−頼本−梅吉−梅久−忠栄−久徳−久倍−忠綱、弟 久幸=忠尚┐

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 └久東−久居−久儔=久甫−久孚−久視−久要−久長−久成(明治四年 文部大丞)

 

忠尚は、島津家からの養子

久甫(天明二年 菩提寺の永福寺の改修を行う)

*家紋、丸に十文字。


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