変 わ り ゆ く 黒 田 家 臣 団

播磨時代(天正六年・1578年)頃、官兵衛 33歳

  通   称 起請文に出てくる名称 官兵衛との関係 年齢


黒田 職隆 濃州様 官兵衛の父 55歳
黒田 休夢 休夢様 官兵衛の叔父(高友) 54
黒田 利高 兵庫殿 官兵衛の弟 25
光姫 御本丸様 官兵衛の妻 26
黒田 長政 松寿殿様 官兵衛の嫡男 11
         











母里 浄甫 母里 与三兵衛(正勝)    
衣笠 景延 衣笠 久右衛門景延 小寺氏派遣の付人から直臣へ 26
喜多村甚左衛門 喜多村甚左衛門    
藤岡 甚兵衛 藤岡 甚兵衛    
小川与三左衛門尉 小川与三左衛門尉    
上原 右助 上原 右助    
宮田 治兵衛 宮田 治兵衛    
栗山 善助 栗山 善助泰重   27
後藤 右衛門尉 後藤 右衛門尉    
母里 太兵衛 母里 太兵衛友信   23
長田 三助 長田三助助次    
喜多村六兵衛尉勝吉 喜多村六兵衛尉勝吉    
久野 重勝 久野四兵衛尉   34
井上 之房 井上弥太郎   25
吉田七郎兵衛尉 吉田七郎兵衛尉    
桐山 信行 桐山孫兵衛尉   25
大野権右衛門尉 大野権右衛門尉    
尾江 与七 尾江 与七    
首藤 太郎兵衛尉 首藤太郎兵衛尉    

 

朝鮮出兵時の家臣団(慶長2年頃・1597年、官兵衛52歳、長政 30歳)

  名   前 身       分 年齢 兵力
一の先

944人
黒田六郎右衛門統種 本姓 中間、豊後の国人で 一戸城主   104人
栗山 四郎右衛門利安 家老 6000石 47歳 156
黒田三左衛門一成   34 230
久野次左衛門 文禄元年に平壌で負傷 病死した四兵衛重勝の嫡男 16 190
母里太兵衛友信 家老 6000石 42 264
         
二の先

950人
井上九郎右衛門之房 家老 6000石 44 296
尾上 藤太夫     50
曾我部 五右衛門通範 2000石 35 49
時枝平太夫 豊前の国人出身   102
黒田 安太夫 豊前の国人 宮成氏   40
後藤又兵衛基次   33 255
野村一(市)右衛門 3000石、慶長二年に病死した太郎兵衛祐勝の嫡男 17 158
         
旗本備

3156人
上原九右衛門 足軽大将 与力とも言われる 396
吉田又助 51歳の父 六郎太夫長利と共に従軍、足軽大将 与力 26 469
池田九郎兵衛     40
仙石 角左衛門     60
黒田惣右衛門直之 4500石余 29 112
黒田吉兵衛 一万石、高森城代、慶長元年43才で病没した兵庫助利高の嫡男 政成か   557
宮崎 助太夫 別名を織部安尚   393
林 太郎右衛門直利   29 372
大野 惣右衛門     377
小河 喜介之直 5000石、文禄二年に病死した伝右衛門信章の養子   156
黒田五郎右衛門     60
平塚甚兵衛     75
竹森 新右衛門次貞 200石、旗奉行 48 41
黒田 養心利則 官兵衛の弟、2000石 37 48

 

関が原合戦時の家臣団【官兵衛(如水) 55歳、長政 33歳】          官兵衛59歳で没す。

黒田官兵衛 所属部隊 9,000余人(九州)
一番 母里太兵衛 45歳
二番 黒田兵庫助(利高の嫡男 政成)  
黒田 直之 32
三番 栗山四郎右衛門 50
黒田五郎右衛門  
四番 井上九郎右衛門 47
五番 野村市右衛門 20
後藤太郎助  
六番 母里与三兵衛  
時枝平太夫  
七番 久野次左衛門(石垣原で討死) 19
曾我部五右衛門(石垣原で討死) 38
池田九郎兵衛  
黒田安太夫  
如水 本陣(1,000余人) 吉田六郎太夫 54
吉田又助 29
三宅山太夫 49
原弥左衛門 44
竹森新右衛門(旗奉行) 51
井口兵助 36
     
中津川城 留守居(700余人) 黒田修理亮 40
刈田の松山城(約150人) 衣笠久右衛門 49
高橋彦次郎(鉄砲頭)  
馬ヶ岳城(300余人) 桐山孫兵衛 47
安崎助太夫  
高盛城 黒田兵庫助の家人  

角川 歴史読本より

 


名字の最初に戻る