名字 

長曾我部(チョウソカベ)

解説

蘇我臣の配下たりし 宗我部の裔にして、土佐国には、香美郡

の宗我部と、長岡郡の宗我部あり、後世 郡名を採って、

前者を香宗我部と云い、後者を長曾我部と称す。

即ち 長曾我部とは、長岡の曾我部の意味なり。

和名抄 長岡郡に宗我郷を載せ、曾加部と註す。

分派氏族

 

1,秦氏族 −長曾我部系図に「家伝に言う、秦河勝の後胤なり、子孫世々 土佐国に住す。家紋 鳩酸草」と。

        元親が全四国を統一したが秀吉に屈服して、土佐一国を保った。

        その子 盛親が関ケ原の戦いに石田三成に味方して断絶。

2,他


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