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吉 澤(ヨシザワ) |
解説 |
丹後に吉澤保(竹野郡)あり、又 上野などに此の地名あり。 新潟県五泉市、栃木県今市市、千葉県市原市、茨城県水戸市に この地名あり。 |
分派氏族 |
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1,信濃の吉沢氏 − − 高遠の新衆(永禄四年)に吉澤善三郎、伊那郡関家家臣に
吉澤伊予あり、下條氏に通ず。又、下條氏 家臣に吉澤六郎あり。
2,甲斐の吉沢氏 − − 巨摩郡の名族にして、身延過去帳に吉沢下総守を載せ、
一蓮寺過去帳に「応永二十三年・吉沢」とあり。
又、天文十五年頃、吉沢但馬守などあり。
3,武蔵の吉沢氏 − − 橘樹郡にありて、新編風土記に「先祖は世々 当所の郷士なり
しが、天正の頃より百姓となれり。天正の水帳に民部あり、これ先祖の
名なりと云う。家伝に吉沢氏は 藤原姓にて 先祖を近藤、左近将監能成
と云う。その子を吉沢三郎重成と云えり、年代等詳ならず。その後の
事は伝えず。この重成の時、今の地頭 加々美金右衛門の先祖 佐兵衛
正光、流浪してこの地へ来たり、遂に重成に依頼せり。天正十六年、
召し出されて御家人となりし後、猶ほ、当村に居れり」と。
又、入間郡の名族にありて、「吉沢氏は、戸倉、井上の二氏と共に、
もと比企郡松山の浪人にして、本郡 坂戸村に移りし族なり」と。
4,近藤氏族 − − 尊卑分脈に「近藤太能成−重能(吉沢三郎)」とあり。
5,上野の吉沢氏 − − 新田郡の名族にして、丸に三鱗を家紋とす。
6,桓武平氏北条氏族 − − 信濃国小縣郡の名族にして、塩田氏の一族なりと云う。
弘長年間、吉澤城主民部あり。
7,他
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