吉   川(ヨシカワ・キッカワ)

解説

和名抄 播磨国に吉川郷あり、越後国三島郡に吉河庄ありて、

高松院御領と見え、今 吉川村存す。又 播磨に吉河上庄・吉

河下庄見ゆ。その他 大和 摂津 三河 駿河 武蔵 常陸 近江

備中 安芸 紀伊 筑前などに此の地名あり。

青森県弘前市、新潟県中頚城郡、埼玉県吉川市、愛知県新城市

豊橋市、岐阜県美濃市、京都府亀岡市、高知県香美郡に

ヨシカワの地名あり。

又、兵庫県美嚢郡にヨカワの地名あり。

又、静岡県清水市にキッカワの地名あり。

分派氏族

 

1,橘姓(キッカワ) 大和国平群郡の名族にして、当国吉川郷より起こる。

              家紋、丸に蔦、菊水、

2,河内の吉川氏 当国錦部郡三日市村の名族にあり、屋号を油屋と呼ぶ。もと宮家、

       諸侯の本陣なり。

3,摂津の吉川氏 能勢郡吉川邑より起こる。同村 吉川城は、吉川豊前守定満の

       拠所。天正元年十月二十三日、塩川伯耆守長満の囲む所となり、十一月

       四日陥落す。

4,和泉の吉川氏 − −江戸浅草の商人に吉川(ヨシカワ)俵右衛門あり、船の出入りに支障を

きたしていた堺港を修築す。寛政二年より 実に20年の歳月を要す偉業なり。

堺港のほとりに顕彰碑あり、又、墓は、超願寺にあり。

5,紀伊の吉川氏 続風土記に「海部郡衣奈浦旧家 地士 吉川次郎右衛門、その

       祖を吉川長門と云う、畠山氏に属し、在田郡吉川村を領す。長門守の子

       左近大夫、畠山没落の後、浪人となり、代々当村に住す。畠山一空より

       左近大夫に『父 長門守の知行、相違なく領地せしむ』とある文書を蔵す」とあり。

6,清和源氏 − − 伊賀の名族にして、源三位頼政の裔と云う。

7,佐々木氏族 吉川源十郎先祖書きに「源姓吉川氏、家の紋、蘿、丸の内に鶴

       幕の紋、捨五本骨扇子の内左巴。吉川源蔵広直・人皇五拾九代

       宇多天皇苗裔、佐々木源蔵秀義の嫡流、六角大膳大夫 高頼庶子に

       御座候。文明の末、近江国野洲郡吉川村に居城罷り在り候。

       これにより、佐々木を改め吉川と称号仕り候所、母は尊氏将軍

       六代の裔、義澄将軍の娘に御座候」と。家紋、丸に蔦、丸に鶴。

8,源姓 紀州家臣にして、次郎右衛門一信に至り、幕臣となる。

       その男「備前守一従−摂津守従弼−加賀守従行」なり。

       家紋、丸に四目結、笹龍膽。

9,藤原南家工藤氏族 キッカワを参照の事

10,滋野姓 − − 信濃の名族にして、増田望月系図に

「望月重行(遠州、法名 行円)−兵郎衛門(号 吉川)」とあり。

11,武蔵の吉川氏 − − 新編風土記 足立郡條に「八幡村の喜木庵は、荒井山にあり、昔、

成田下総守の家士 吉川喜内と云う者、成田没落の後、この庵を作りて、幽棲すと云う。

石碑あり、吉川和泉吉長、吉川左太夫政義、吉川権兵衛長貞、吉川喜内忠長の交名を彫る。

忠吉は、即ち、この庵を造りしものなり、本尊 阿弥陀の像を安す」とあり。

12,常陸の吉川(キッカワ)氏 当国行方郡吉川邑より起こる。

鹿島文書 嘉元四年十二月二十日のものに「鹿島社大禰宜 能親代長円、常陸行方郡大崎郷内

吉河孫四郎、云々等と、当社供料米以下の事を争論す」とあり。

又、小鹿野、額賀、松本等と共に鹿島氏の四家老の一人にありて、鹿島治乱記等に見え、

又、六地蔵過去帳に「キッカワ殿」とあり。

13,幕臣大江姓 家紋、寄九曜、桜九曜。吉川三郎右衛門宣清、享保中、幕臣となる。

14,播磨の吉川(キッカワ)氏 −第9項の庶流なり。キッカワを参照の事

15,因幡の吉川氏(キッカワ) − − 当国邑美郡雁金尾城は、天正九年に吉川式部少輔経家築く。

又、山名豊国の家臣に吉川隆久あり。

又、吉川式部、吉川平助等、因幡志にあり。

16,美作の吉川氏(キッカワ) − − 作州古城記に「鳥越城は 久米郡上打穴にあり、天神山の城は

同下打穴にあり。並びに吉川蔵人広家の所拠」とあり。

上打穴村の吉川氏は、広家の弟 五郎末光、鳥越に住す、その裔なりと。

17,石見の吉川(キッカワ)氏 − − 一本 吉川系図に

「駿河守経見、実は経兼の男、本庄、石見国別府市木を領す」とあり。

又、吉川文書に「石見国邇摩郡内佐麿の事、吉川次郎三郎代に相渡さるべし。仰せにより執達、

件の如し。文明二年正月七日、盛安 判、弘泰 判。原田和泉殿、三浦兵庫助殿」とあり。

又、石見志に「邇摩郡の殿村城主 吉川和泉守経康は、吉川元春の支流、永禄四年、

物不言城に居る」、「福光村の物不言城主 吉川式部少輔経家、吉川経高の甥、天正九年七月

鳥取城に自殺す」とあり。

18,安芸の吉川(キッカワ)氏 吉川嫡流、天文中、興経に至り亡ぶ(実は毛利元就の二男・元春、

養子となりて、氏を吉川に改む)。

19,大江姓毛利氏族(キッカワ) 元春の後にして、ェ政系譜に

  「元春−元長−弟、広家−広正−広喜−広猶−広達−経永=経倫−経忠−経賢−経礼−経章−経幹−経建」とあり。周防岩国六万石、明治 子爵

20,首藤氏族 − − 山内首藤系図に以下のようにあり。

       上野介熈通┬時通(上野守)−泰通(上野守)−豊成(大和守) ┬直通(上野守)
└通高−高景(吉川次郎)           └直貞(吉川治部大輔)

21,鎌倉幕臣 − − 東鑑に「吉河二郎、吉河右衛門、吉河三郎」等の名あり。

22,大江姓 羽前国西村山郡吉川邑より起こる。寒河江系図に

       「左沢彦三郎満政の舎弟 吉川八郎五郎政周、相続し 兵部少輔と称す。

       永正甲戌二月十日、長谷堂にて討死、山形義定 入部延引の故也」とあり。

       又、伊達世次考に「永正十一年甲戌二月、吉河兵部以下、敵一千余人、

       長谷堂城を抜く」と。

23,他 

 *(キッカワ)となってないものも、キッカワの可能性大。


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