矢   崎(ヤザキ)

解説

信濃、肥後などにこの地名あり。

 

国土基本地図に20ヶ所あり。

尚、矢ヶ崎の地名は、軽井沢にあり。

 

1、諏訪神家 信州の名族にして、諏訪志料に「矢崎氏。元祖は諏訪大明神より出づ。

     当郡矢崎は古き地名なり。その先は大祝貞光、安芸権守の二男 諏訪二郎清貞の男 貞盛、

     矢崎神太と云う。云々。旧記に『永禄八年四月、神主 矢崎五郎左衛門、同九年に

     矢崎四郎兵衛等見ゆ』と。又、一説に『矢崎氏の中祖は、矢崎隼人正なり、その系は、

     大己貴命の子 健御名方命の裔に出づ』と。隼人数代の胤を民部と云う。次に甚五右衛門、

     その子 蔵人、及び刑部と云う者あり。その刑部は永禄十年、甚五左衛門の婿養子となり、

     後、笠原氏に改む。蔵人の子 土佐、及び右門(一説に右衛門)あり、土佐は慶長年間、

     上諏訪に下る。右門は、塚原に居住す。天正中、同族又右衛門、和泉、長蔵は甲州に、

     勝三郎は佐久郡に、勘右衛門は、西山田村に各々分居すと。云々」とあり。

     今、丸に根笹、丸に矢違を家紋とすと云う。

2、清和源氏木曽氏族 木曽義仲の後にして、義信を祖とすと云う。

3、甲斐の矢崎氏 当国巨摩郡十日市場の名族にありて、「その先、青木氏より出づ。

     信州諏訪矢崎を知行として氏とす」と云う流あり。

4、他


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