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柳 井(ヤナイ) |
解説 |
島根県大田市、同県八束郡玉湯町、岡山県倉敷市、広島県尾道市 山口県柳井市、愛媛県上浮穴郡久万町、大分県竹田市にこの地名あり。 |
1、周防の柳井氏 − − 地名辞書に「柳井は又 楊井と記し、中世 海賊衆ありて一方の雄帥たり。
戊子入明記に『楊井、勘合船宮丸七百石』とあるは、この津の船なり。安西軍策に『弘治
三年、陶の郎党、毛利元就父子に、矢 一筋射懸け、主の横泉の恨みを晴らさんと、
散々になる兵どもを集めける。柳井の一族は、 徳地の一揆の際、二千余人を催す』云々と
あるも、この海賊衆なり。史学雑誌に海賊衆の一将、柳井卿直の大明譜を解題して曰く
『卿直は、矢龍寺の策彦に随行す。この書、天文十六年二月二十一日、山口発船、以下
船員の姓名、搭載の物数、及び賊船と戦う等の事を雑記す。この時の船は、長さ
二十三尋、帆柱 十三尋とあり。末に北京路程を附す。当時 大内氏 渡唐船の事を管す。
策彦 帰朝の翌年、大内氏亡び渡唐船、遂に廃す』と。按ずるに楊井津は、往時 大島津と
称したり。東鑑に載せ、元暦の平氏追討の時、源氏の海船出師は、全くここにあり」と。
2、備中の柳井氏 − − 当国松山藩士に柳井六郎太夫忠俊あり、兵学に長じ、後、藤堂藩に仕う。
3、土佐の柳井氏 − − 山内藩士 柳井俊蔵の次男 建次 友政は、勤王の志士にして、正五位を賜る。
4、他
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