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柳 川(ヤナガワ・ヤナギガワ) |
解説 |
筑後に柳川流れ、越中に柳川庄あり。 国土基本地図に柳川の地名、20ヶ所あり。 |
1、秀郷流藤原姓 − − 河村系図に「河村三郎秀高−則実(柳川二郎)」とあり。
2、筑後の柳川氏 − − 当国柳川より起りしならん。応永戦覧に「筑後国の士 柳川七衛門尉」と。
又、堤系図に柳川新三郎あり。
3、宗 氏族 − − 対馬国の名族にして、宗家の重臣たり。文禄元年、柳川調信 伊奈郡主となる。
中興系図に「柳川。平、宗 讃岐守義調の二男 豊前守調信これを称す」と。
柳川調信は 明、朝鮮との交渉上 重要なる人物にして、朝鮮出兵(秀吉)の戦後処理に尽力す。
4、近江の柳川氏 − − 柳川順剛は、儒者として名高く、震澤と号す。その嗣 柳川滄洲は、高槻藩士
向井休ェの男、又 名あり。
5、金工 − − 江戸の金工に柳川安右衛門政次あり、その男 三左衛門直政、その養子 小平次直故、
その男 三左衛門直春など、皆 名あり。
6、画家 − − 浮世絵師に柳川重信(本所 柳川町に居る)あり、北斎の女婿、雷斗と号す。その門
重山は二代 重信と称す。
7、手品師 − − 柳川一蝶斎は、「蝶の曲」の創始者、三世一蝶斎は、パリ万博に参加す。
8、三味線の名手 − − 柳川検校(応一)は、摂津の人にして、柳川流三味線の祖として名あり。
9、洋学者 − − 柳川春三は、明治元年、『中外新聞』を発行して新聞隆盛時代の先鞭をつける。
10、他
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