大   和(ヤマト)

解説

大和国城下郡に大和郷あり、近江国、摂津国に大和庄あり。

その他 越後、淡路にこの地名あり。

又、因幡国に大和神社あり。

この氏は当 国名、或るいは、地名を以って氏とする者と、父祖の

受領せし称号を以って氏とする者とがある。

 

国土基本地図に大和(ヤマト)の地名は16ヶ所あり。

又、「オオワ」の地名は4ヶ所、「ダイワ」の地名は2ヶ所、「タイワ」は、1ヶ所で鹿児島県出水郡にあり。

 

1、桓武平氏 伊勢平氏の一にして、中興系図に

     「大和。平、桑名三郎右衛門尉維綱五代 周防守政平これを称す」とあり。

     文安年中御番帳に「在国衆 四番、大和佐渡守、申次、大和守、在国衆、大和二郎」と。

     又、長享元年九月、常徳院江州 御動坐在陣衆に「四番衆、大和守政宗()、大和亀法師。

     大和佐渡守邦永」とあり。

     見聞諸家紋に「四番、大和、紋、二つ引きに対い立ち鶴」とあり。

2、和泉の大和氏 康正造内裏段銭引付に「十貫文、大和弥九郎殿、和泉国神野庄段銭」とあり。

3、備後の大和氏 康正造内裏段銭引付に「一貫文、大和兵庫助殿、備後国柞戸村段銭」とあり。

4、防長の大和氏 播磨国印南郡 明応七年古鐘に

     「周防国 富田保 上野八幡宮云々、大工 大和相秀」とあり。

5、淡路の大和氏 貞応二年の大田文に「西宮領、津名郡広田荘六十町、地頭 大和中務丞」と。

6、豊後の大和氏 延慶二年四月の深妙尼の譲り状に

     「大和太郎兵衛尉分、大野庄内上村半分地頭職」とあり。

7、武相の大和氏 北條方の将に大和兵部少晴親あり。

8、下野の大和氏 常陸国那珂西郡太古山清音寺 長禄二年の鐘銘に

     「大工 宇都宮住人 大和七郎」とあり。

     又、日光瀧尾中宮多宝塔銘に「文明二年、大工 宇都宮住人 大和太郎」とあり。

9、他


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