山   岸(ヤマギシ)

解説

陸中、越後、越前などにこの地名あり。

 

国土基本地図に36ヶ所あり。

 

1、藤原南家工藤氏族 狩野家次の裔 家俊を祖とすと云う。

2、加賀の山岸氏 上記の氏は当国発祥と云う。この地方この氏多く、加賀藩給帳に

     「三百五十石(紋、蔦)山岸三十郎。二百石(紋、丸の内に蔦)山岸七郎兵衛。百石(紋、

     丸の内に蔦)山岸錠之助。百石(紋、丸の内に蔦)山岸儀平。百五十石(紋、丸の内に蔦)

     山岸淳左衛門。八十石(紋、井桁)山岸九兵衛」とあり。

3、越前の山岸氏 当国坂井郡山岸村より起る。三州志に

     「暦応元年、畑六郎左衛門時能の招きによりて 敷地伊豆守、上木平九郎、山岸新左衛門等

     越前細呂木邊に堡を築きて、津葉清文を攻め 津葉堡を抜く」とあり。

4、越後の山岸氏 −当国蒲原郡に山岸村あり。

     桔梗山城(泉村)は、弥彦庄司の宅跡にして、庄司は山岸氏と号す。

     又、魚沼郡野際城(城内村田崎)は、貞治年中、上杉憲顕、その将 山岸新将監をして当城を

     守らしむと云う。

     又、長尾系図、上杉謙信様分 城持大将に「山岸宮内少」とあり、

     又、景勝家中侍に山岸中務あり。

     又、沼垂郡新発田城主に山岸宮内あり。

5、信濃の山岸氏 伊那武鑑に「高遠城家士 山岸太郎右衛門、十二貫文」とあり。

6、小野姓 三島郡(刈羽郡)石地驛宮浦の山岸家系図によれば、春日姓にして

     「中古祖 小野行氏(後宇多院の頃、御島二田社 宮浦地頭)−嫡 氏定十二代の後胤、初代

     山岸権守 氏里より出づ」とあり。

7、陸前の山岸氏 世次考に

     「名取郡富沢村主に山岸肥前宗成あり、その男を修理勝定と云う」とあり。

     又、愛子村 諏訪社の慶長三年の棟札に「山岸修理助」の名あり。

8、他


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