牛   尾(ウシオ・ウシノオ) 

解説

遠江、下総、出雲、肥前などにこの地名あり。

鹿児島県大口市にこの地名あり。

分派氏族

 

1,信濃 神家流 出雲国大原郡牛尾村より起こる。雲陽志に「潮城は牛尾氏の

       築く処」と。この氏は、嘉元の下知状に「神 為真の領は、信濃国伊那

       郡中澤郷内 八箇村、出雲国牛尾庄なり。而して牛尾の庄に於いては

       真直に譲り、中澤内四ヶ村は真光に譲り、残り四ヶ村は後家女子に譲る

       所なり」と。信州伊那の中澤を領するが故に中沢氏とも称す。この氏

       信州より来るが故に、当所に諏訪明神を勧請す、牛尾郷十二ヶ村の惣社

       なりと。

       正平十年十二月二十一日の口宣に「左衛門尉 神時実、宜しく参河権守

       たるべし」と。

       又、集古文書 文明元年八月のものに「牛尾三河守殿」と。その後、

       豊前守あり、尼子氏に叛く(陰徳太平記)。又、後、毛利勢に攻めらる。

2,安芸の牛尾氏 上記と同族か。芸藩通志高宮郡條に「牛尾氏、中深川村、

       先祖 牛尾遠江幸清、同子 義次、共に毛利氏に従い九州の役に死す。

       その子 幸助、農となりてこの村に住す」と。

       又、広島十日市町太田屋「先祖は京人 野村氏、中頃尼子家に仕え、

       牛尾氏と云う。元和中、善左衛門といえる者、始めて府に来る」と。

       又、陰徳太平記に「芸州、毛利の家士、牛尾大蔵左衛門」あり。

3,石見の牛尾氏 安濃郡(久手村)鰐走城主に牛尾太郎左衛門尉久信あり。

       又、 石見志に「諏訪神家 中澤氏、出雲海潮郷に居り、潮 牛尾と

       称す」と。

4,大友氏流 大友系図に「能直−親秀−頼泰−親時−親元(牛尾九郎)−親氏

       (牛尾民部少輔)」と。

5,千葉氏流− −千葉宗胤の子 千田胤貞の後にして、下総国香取郡牛尾村より起こる。

6,他 


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