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豊 田(トヨダ・トヨタ) |
解説 |
諸国にこの地名ありて、多数の氏を起こす。 国土基本地図に52ヶ所あり、 尚、福島県いわき市のは「ブタ」と読む。 |
分派氏族 |
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1,伊勢の豊田氏 − − 当国朝明郡に豊田郷あり、この地より起こりしか。鈴鹿郡の
豪族に豊田越後守あり、関盛信に属し、阿濃田城に拠る。又、盛信、
桑名を降ろし、豊田四郎左衛門を代官として守らしむと。
2,清和源氏善積流 − − 近江の名族にして、尊卑分脈に
「源 満政十世孫 善積忠齊−齊範(豊田小太郎)」とあり。
3,伴姓 −
− これも近江の豊田氏か。伴氏系図にこの氏を収む。
又、甲賀郡池田村の士に豊田謙次あり、勤王家として名あり。
4,三河の豊田氏 − − 八名郡の名族にして、吉川村古屋敷に拠る。豊田藤助秀吉は、
一当斎と号す。桓武平氏鎌倉氏の族なり。
5,桓武平氏鎌倉氏族 − − 相模国大住郡(中郡)豊田荘より起こる。大庭氏の族なり。
源平盛衰記に「大庭平太の弟、豊田次郎景俊」とあり。景俊は大庭庄司景宗の子にして
豊田五郎と称す。東鑑巻一、治承四年八月二十日條に
「大庭平太景義、豊田五郎景俊」とあり。家紋、違柏。
6,平姓 −
− ェ政系譜に「清左衛門友雅−金右衛門友政−友信、家紋、蝶、鳩酸草」と。
7,武蔵の豊田氏 − − 入間郡に豊田村あり、ここより起りし氏もあらん。
又、葛飾郡の名族にこの氏あり、小田新田を開墾す。
8,桓武平氏常陸大掾氏族 − − 下総国豊田郡豊田村より起こる。多気氏の族にして、大掾伝記に
「重幹の子 清幹の舎弟 正幹、石毛荒四郎、後に赤頭の四郎将軍と号す。豊田の先祖なり」
と云い、大掾系図に「上総介繁幹−正幹−幹重(豊田太郎)」とあり。
新編国志に「豊田、下総豊田郡より出づ。多気重幹の三子 正幹、豊田四郎と称し、
又、石毛四郎と称す。下総豊田郡石毛に居る。男 義幹あり、女、千葉常胤に適す、
義幹は、兵衛尉に任ず、豊田城に拠る」とあり。
地理志料に「豊田城の跡は、豊田村寺郭の地に在り。伝え云う、豊田四郎 始めて築き、
子孫 伝領す。未だその世系を詳にせず。龍心寺あり、即ち 豊田氏の建する所なり。
大房に東弘寺あり、文永中、僧 善性 開く。性は俗名、周親、豊田治親の子、親鸞に
従って剃度す」とあり。豊田幹重の裔、十九世 四郎政高に至り、元亀元年、多賀谷政経に
攻められ、又、石毛城の豊田正家(政親、治親)も、天正五年、治親死して、多賀谷重経に
城を奪われると云う。
9,磐城の豊田氏 − − 室町の初め、豊田三郎左衛門清弘あり、文安二年、萱沢胤人と謀りて、
半越定綱を誅し、功を以って 行方郡高平村の内 八十八貫文を賜う(奥相志)。
この豊田氏は青田氏の事にして、その祖 祐胤は、下総の豊田より来るという。
されど、上記とは別流なり。
10,下野の豊田氏 − − 延文の頃、下野 犬飼郡に豊田小太郎入道宗西、子息 又三郎幹家あり、
同五年五月の軍忠状に「河内国供奉して忠節 云々」とあり。
11,滋野姓 − − 信濃の名族にして、増田望月系図に
「望月信濃守重真−信濃守重秀−重政−重国(号す 豊田)」とあり。
12,越後の豊田氏− − 沼垂郡(北蒲原郡)に豊田庄あり、その地より起りしもあらん。
当国弥彦神社の神官にこの氏あり。
13、清和源氏 − − 源為義の男 帯刀先生義賢の裔と云う。子孫 大石氏なり。
14,芸備の豊田氏 − − 安芸の豊田郡より起こる。備後国御調郡の名族にこの氏あり、先祖は、
嘉元中の人にて、豊田対馬守俊行と称す。その二十二代、ェ永中の新兵衛より以後、
村の庄屋となるとぞ。
15,藤原姓 − − 長門国豊田郡(豊浦郡)豊田村より起こる。藤大納言輔長の裔と伝えらる。
矢田村八幡宮神像銘に「建久二年、歳次晩春、云々、豊田郡司藤原種弘」とあり。
又、忌宮観応三年文書に豊田種元 あり。その後、大内氏に併呑される。
伝説によれば、「応永八年、豊田民部滋武、謀叛して大内弘茂と戦う。
滋武 豊田城に拠り、その子 義武、弘茂の陣を襲いて戦死せしむ。九年
正月のことなり。その後、陶尾張守弘護の為に平げらる」と。
16,菊池氏族− −肥後国益城郡豊田庄より起こる。菊池系図に「武士の子 武光(豊田十郎)」とあり。
17,室町幕臣 − − 太平記 巻十六に「豊田弥三郎光顕」、巻三十一に「豊田因幡守」とあり。
又、永享以来御番帳に「五番、豊田千代鶴丸」とあり。家紋、三つ盛亀甲に花菱。
この流は、藤原南家工藤氏の二階堂氏の更に支流の深矢部氏の支族なり。
18、木寺宮裔 − − 遠江国豊田郡より起こりしか。木寺(キデラ)宮の孫裔に豊田源大夫ありて、
小笠原遠江守に仕う。
又、翁草に、鎌倉時代武士の所領を載せて「三万町、遠州の内、豊田弥次郎重氏」とあり。
19、利仁流藤原姓 − − 加賀国加賀郡豊田村より起こる。斎藤裔 富樫氏の族にして尊卑分脈に
「林大夫光家−光成(豊田五郎)−光広−光忠(住
能登国)」とあり。
白山荘厳記に「嘉禄二年、豊田光成入道の三男 太夫法橋成舜、御供田の地頭に
補せらる」とあり。
20、能登の豊田氏 − − 上記 光忠は、能登鹿島郡に住す。よって そこに豊田の地名でき、
この子孫及びこの地名を以って氏とすものもあらん。今、石川県鹿島郡中島町に
この地名あり。
21、菅家党 − − 美作国勝北郡豊田庄より起こる。同庄 天神城は、豊田修理進久光の居城と
伝えらる。東作志、東北條郡公卿郷 下津川村條に
「豊田氏は、作州菅家の一族にして、勝北郡豊田庄に住す。その苗裔 豊田出雲守、
その子 源兵衛、故ありて他家を継ぎ、有元平左衛門の子を以って家を継がしめ、
豊田五郎左衛門と云う。その子 弥右衛門、その子 五郎兵衛と相続す。五郎兵衛、
元禄九年に死す。嫡孫 現名、和作。疏流 現名、忠兵衛なり」と。
22、他
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