勅使河原(テシガワラ)

解説

武蔵などに此の地名あり。

分派氏族

 

1,丹治姓丹党− −武蔵国賀美郡(今 児玉郡)勅使河原より起こる。武蔵七党系図に

       秩父黒丹五基房−(勅旨河原)直時(勅旨河原五丹二)−直兼┐
       ┌―――――――――――――――――――――――――――┘
       └┬有直―――┬則直┬泰直−直綱
        ├光直   │  ├義直−員直−政直
        ├重直   │  ├盛直
        │(有則) │  └盛泰
        │     └信直−直重−貞直
        └直木

       源平盛衰記に「武蔵国の住人 勅使河原権三郎有直、同 四郎有則の兄弟

       二騎、三百余騎にて、木曽義仲を追いかけし云々」と。

2,清和源氏小笠原氏族 小笠原系図に「長直(三男、小笠原三郎、勅使河原と

       号し、三河国の所領を譲り受けて住す)」と。

3,上野の勅使河原氏 倉賀野十六騎に勅使河原備後守あり。

4,奥州の勅使河原氏 −餘目旧記に「その後中一年過ぎ、上杉殿大将にて、応永九

       年に二十八万騎にて下らる。伊達一族、長倉入道本人たり。存旨ありて

       要害を引き、西根、長倉、あかだてを築き、かの所へ 二十八万騎押し

       寄せ、日々大将 勅使河原の兼貞十三歳なり。攻め損じ、しのぶまで切

       り付けられ、一騎残らず討たれ、兼貞を虜る」と。

5,他


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