寺   崎(テラサキ・テラザキ)

解説

羽後、陸前、常陸、上総などに この地名あり。

 

国土基本地図に22ヶ所あり。

 

1、桓武平氏葛西氏族 陸前国桃生郡寺崎村より起こる。

     「葛西清重の玄孫 親信の子 親長を祖とす」と云う。

     又、「伯耆前司清親の末男 彦九郎清次の後にして、桃生郡寺崎を領せしが、十代

     刑部大輔常清に至り、磐井郡流庄峠村に居城し、常清の弟 左近将監 明清は、同庄

     楊生村に拠る」とぞ。

2、越中の寺崎氏− −康暦の頃、桃井氏の将に寺崎備中守あり。三州志、射水郡守山城(二上庄)條に

     「応安四年七月、桃井直常 石動山の衆徒と党を結び、斯波義将の本城 守山を攻む。

     又、康暦二年の頃、桃井の将 寺崎備中守 拠れり」と。

     又、願海寺城(倉垣庄 願海寺村)條に「上杉謙信の麾下 寺崎民部左衛門居り、天文二十一年、

     婦負郡井田城主 飯田利忠と戦う。その後 天正二年、畠山義隆 毒殺に逢い、その子 義春

     三歳にて嗣立す。諸臣不和を伺い、願海寺の寺崎民部左衛門など 大将にて能登の二宮まで

     討ち入る事、長尾家伝に見ゆ。八年七月六日、信長公、寺崎を召し上らせ、近江国佐和山にて

     誅す。」とあり。

3、他


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