寺   尾

解説

上野、信濃、武蔵などに この地名あり。

 

国土基本地図に42ヶ所あり。

 

1、上野の寺尾氏 当国の名族にして、片岡郡(群馬郡)寺尾村より起こる。

     東鑑に「寺尾太郎、寺尾大夫業遠」などの名あり。

     又、楠合戦注文に「大番衆、紀伊手、寺尾入道 跡」とあり。

     又、関東古戦録に「寺尾備中守(箕輪 篭城の士)」とあり。

2、清和源氏新田氏族 家譜に「上野新田庄 寺尾より起こり、脇屋義助の後」と称す。

     又、中興系図に「寺尾、清和源氏、本国上野、新田庄 寺尾郷」とあり。

     ェ政系譜に「作左衛門直信−善左衛門直行−五郎左衛門義豊−平右衛門直之−直ェ(三五郎、

     多宮)−善左衛門直安(多宮)、家紋、左三巴、結鐶花」とあり。

3、伊豆の寺尾氏 相州兵乱記に「伊豆の守護代 寺尾四郎左衛門尉を案内者となし云々。

     寺尾兄弟二人共に深手を負う」とあり。第1項の流なり。

4、甲信の寺尾氏− −信州埴科郡寺尾村より起こる。北国太平記に「天正十年、寺尾伝左衛門云々」と。

     又、甲陽軍鑑に「信州先方衆、寺尾二十騎、大室五十騎」とあり。

5、諏訪氏族− −武蔵の名族にして、新編風土記 橘樹郡條に「寺尾城(管村)、寺尾若狭守の城跡なり。

     南の方なる山上にあり。ここを寺尾台と云う。若狭守の由緒 詳ならず。今 按ずるに、郡内

     寺尾村に諏訪右馬助の城跡あり、又、入間郡寺尾村にも諏訪右馬助の居跡あり。若狭守も

     右馬助の一族なるにあらざるか」とあり。

6、加賀の寺尾氏 加賀藩給帳に「百三十石 家紋、丸の内に沢瀉、寺尾甚蔵」とあり。

7、他


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