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滝 沢 |
解説 |
羽後、陸中、磐城、岩代、信濃、遠江などにこの地名あり。 国土基本地図に80ヶ所あり。 |
1、清和源氏頼光流 − − 源頼政の孫 宗綱の子 茂綱、信濃国小県郡滝沢村に住み、子孫 村名を
氏とすと云う。
2、岩代の滝川氏 − − 新編会津風土記、大沼郡横田村旧家 吉郎右衛門條に
「山内家臣 滝沢河内忠長の九代の後なり。氏勝、松坂峠にて散々に破れし時、河内、
新国右京、横山帯刀と三人、踏みとどまって力戦し、氏勝、虎口を逃れ、大塩城に入り、
後、氏勝 浪々の身となり、河内家に居りて終れりと云う」とあり。
3、由利氏族 − − 羽後国由利郡滝沢村より起こる。由利仲八郎維平の後裔と云う。
東滝沢の前郷に館し 矢島十二頭記に「滝沢館は滝沢刑部 居住す。幾代と申すことを知らず。
さりながら 由利の仲八郎殿の末葉には、紛れこれなく鳥海山へ鉢を納め候にて知れ申し候。
最上源五郎殿の旗下になりて、由利五万八千石の内、四万八千石は、豊前殿に、一万石は、
滝沢知行候処に、元和八年、最上殿、御潰れなされ候時、滝沢殿も潰れ申し候」とあり。
4、読本作者 − − 江戸時代後期、南総里見八犬伝などを著わした滝沢馬琴あり、松平信成家臣
滝沢与蔵の子にして、その男を琴嶺(宗伯)と云う。
5、他
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