竹   井(タケイ・タケノイ)

解説

羽前、筑後などにこの地名あり。

 

群馬県吾妻郡中之条町、京都府船井郡園部町にこの地名あり。

 

1、大江姓( 藤原姓) −筑後国山門郡竹井村より起こる。 筑後近藤氏 永仁五年十月二十二日の

     譲り状に「竹の井の四郎兵衛入道に、売り渡すといえども、御徳政によりて、これを

     取り返す」とあり。

     又、近藤系図に浪江信雄の三男に竹井実喬あり。

2、藤原姓竹屋氏族 武蔵国の名族にして、新編風土記 大里郡條に

     「竹井氏(熊谷)。先祖は竹屋右衛門督兼俊の後胤、藤原俊信の長男 竹井新左衛門尉信武に

     出づ。信武の母は、別所尾張守長吉の娘にて、天文二十二年五月十七日出産の時、庭前の

     井中、竹を生ぜし故、竹屋氏の祥瑞なりとて、竹井氏に改めしとなり。信武の父 信俊は

     後奈良院の北面なりしが、故ありて勅勘を蒙り、当国別所に蟄居し、信武出生の後、

     勅勘の御許しありしかば、信武をば、ここに留めて帰京せり。云々」とあり。

3、幕臣藤原姓− −ェ政系譜に「三右衛門定広−五郎助定該−定房、家紋、丸に九枚笹、井筒」とあり。

4、他


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