竹 原(タケハラ・タケバラ・タケノハラ・タケガハラ・タケワラ)

解説

伊賀国山田郡、加賀国江沼郡、安芸国高宮郡に竹原郷あり、

播磨、備前、阿波に竹原庄あり、その他 岩代、常陸、安房、飛騨

若狭などにこの地名あり。

 

国土基本地図に47ヶ所あり。

尚、福岡県八女郡矢部村のは「タカハラ」と読み、

  佐賀県神崎郡神崎町のは「タカワラ」、

  熊本県阿蘇郡蘇陽町のは「タケバル」、

  大分県南海部郡本匠村のは「タコラ」と読む。

 

1、応神帝裔 応神天皇の裔 息長氏の族にして、姓氏録、山城皇別に

     「息長 竹原公。応神天皇三世の孫 阿居之王の後なり」とあり。

2、大和の竹原氏 当国吉野郡の名族にして、太平記巻五に

     「大塔の宮 云々、十津川へぞ着かせ給いける。光林房玄尊、さもある人の家なるらんと

     思ぼしき所に行きて、家主の名を問えば、それは竹原八郎入道殿の甥に戸野兵衛殿と申す

     人の許にて候」とある、これなり。名所図絵に「竹原八郎宅跡は、谷瀬にあり、大塔の宮

     寓居ありし所」とあり。

3、他


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