武   部(タケベ・タケルベ)

解説

建部と全く同じく、併せ云いしも、後世は区別されるべし。

長崎県大村市に武部の地名あり。

分派氏族

 

1,丹後の武部氏 景行天皇の頃(4世紀前半)、紀記に「因りて日本武尊の

       功名を録せんと欲し、即ち、武部を定め給う也」と。

       その御名代部の一つである武部と云う部民の裔なり。

2,能登の武部氏 七尾城(古城村)は、初め 武部判官師澄の居なりと。

       又、「多茂(浅井庄武部村領にあり)、文化年中、邑長書上る者に武部

       師澄居たりと也」と。

       又「七尾山麓に、古え、武部判官師澄中院少将定清の館ありし」と云う。

3,加賀の武部氏 加賀藩給帳に「七十石(木瓜) 武部定次郎」とあり。

4,他


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