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高 島 |
解説 |
備前に神武天皇の行宮たりし高島宮あり、又、和名抄 近江国に高島郡ありて、太加之萬と註し、郡内に高島郷あり。鎌倉時代は高島本庄と あり。 又、越中国婦負郡に高島郷あり。その他 下野、下総、上総、信濃 武蔵などにこの地名あり。 国土基本地図に54ヶ所あり。 |
1、宇多源氏 佐々木氏族 − − 近江国高島郡高島郷より起こる。近江の名族にして、尊卑分脈に
「佐々木信綱−高信(隠岐守)−泰信(左衛門尉)−泰氏(越中守)−範綱(高島四郎)」とあり。
又、浅羽本佐々木系図に「高信、高島郡田中地頭、高島二郎右衛門」とあり。
又、長享 近江国動座着到に「二番衆、高島修理亮貞俊」とあり。
又、高島郡に清水山城あり、佐々木越中守高賢の居城にして、高賢の子を高島越中守と云う。
又、同郡大溝城(大溝村)は、高島玄蕃允の居城なり。
2、幕臣高島氏 − − ェ政系譜に「高島信顕の二男 重信より出づ。家紋、四目結、釘抜」と。
3、美作の高島氏 − − 笠庭寺記に「大庭郡久世保 高島益満」とあり。
4、河内の高島氏 − − 永禄二年 交野郡総侍中連名帳に「藤坂村 高島大膳進家満」とあり。
5、播磨の高島氏− −式内神社考、揖保郡家島神社條に「神主 高島越後。往古、高島四郎秀影と
云う者 神託によりて、始めてこの島に祭る。始めは忘瀬島に祭りしなり。元慶七年と云う。
嘉禄元年に今の地に移す」とあり。
6、肥後の高島氏 − − 永正元年の菊池政隆の侍長に「高島近江守元房」とあり。
7、肥前の高島氏− −当国高島氏は伝え云う「近江国高島郡の領主 高島河内守頼春の庶子 八郎兵衛
天正二年 長崎に来り、年寄となる」と。
又、長崎地名考に「長崎町建の始め、主立ちたる浪人 高島了悦などを頭人と定む」とあり。
又、高島秋帆は、この裔にして、四郎兵衛の子なり。 幕末の兵学者にして砲術家。名は
舜臣(きみおみ)、通称、四郎太夫。長崎町年寄・鉄砲方となり大砲の購入・鋳造に努め、
幕府に洋式砲術採用を建議。武州 徳丸原で砲術演習を行なって、江川太郎左衛門ら幕末
西洋砲術家に多大の影響を与えた。
8、藤原北家一條家流 − − 土佐国司 一條房基の男 兼定の娘 按察使の養子 又左衛門長親の後なり。
ェ政系譜に「藤兵衛兼明−兼通−兼良、家紋 上藤丸、獅子に牡丹」と。
9、清和源氏足利氏族 − − ェ政系譜に「近江守広行−広儔、家紋 丸に九枚笹、三羽雀、四花菱」と。
10、桓武平氏千葉氏族 − − 上総国市原郡の高島より起こる。
千葉の一門の高島氏、この地の領主たりしと云う。
11、秀郷流藤原姓 − − 下野国都賀郡高島村より起こる。大川島四郎行俊の後にして、その子を
高島八郎行春と云う。
12、他
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