田   上(タガミ・タカミ・タノカミ)

解説

和名抄、加賀国加賀郡に田上を収め、多加美と註し、備中国下道郡に

田上郷を収め、多加美と訓ず。

又、阿波国板野郡の田上郷は、多乃加美と註す。

又、近江国栗本郡に田上庄あり、これもタノカミなり。

 

国土基本地図に18ヶ所あり。

宮城県登米郡のは「デンジョウ」と読み、

熊本県球磨郡湯前町のは「タノエ」と読む。

 

1、伊勢の田上氏 名勝志 一志郡條に「八太城址、八太村字西出山の山上にあり、周囲

     七 八十間ばかりの草地たり。永禄中、田上讃岐守、その子 右近ここに居り、北畠氏に属す

     天正四年、北畠氏滅びて秀吉に従う。その子 兵衛尉、文禄元年 朝鮮の役に戦死して家滅す。

     後、天正中、北畠信雄、日置大膳亮をしてここに居らしむ」とあり。

     一族 社家として今に存すと云う。

2、備中の田上氏 当国下道郡田上郷より起こる。備中名勝志に

     「賀陽郡足守郷田上寺は、田上弾正の創める所なり」とあり。

3、肥後の田上氏 当国の名族にして、隅庄合戦記に「大武明神の社人 田上周防 云々」とあり。

     又 国志に「阿蘇大宮司家人の衆、早川兄弟、甲佐、中山の田上、砥川、上島の田上」とあり。

     阿蘇家 配下の将として名高し。

4、清和源氏 佐渡役人帳に「源姓、田上信之進」とあり。

5、美作の田上氏 東作志に「森家浪士に 田上甚左衛門あり、伝え云う『森忠政の臣

     田上三郎四郎勝甫−源左衛門勝秀(津山に来る)−弥三左衛門勝雄−甚右衛門正勝

     −幾右衛門祐光』」と。

6、他


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