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下 野(シモノ・シタノ・シモツケ・シモツケヌ・シモツケノ) |
解説 |
下野国は古代の下毛野国にして、毛野国の東部を云う。中古に至り、 下野の二字とし、万葉集には、之母都家努と云い、和名抄には、 之毛豆介乃と訓ず。その他、陸中に下野郷あり、下野の国名を 移せしなり。 下野氏は、下毛野氏の後裔と、下野の国名・地名を負いし者、 又、下野国司たりし人の子孫、父祖の職名を称号とする者とがある。 国土基本地図に49ヶ所あり。 鳥取県八頭郡船岡町には、シモノの地名及びシモツケの地名がある。 |
1、宇都宮氏流下野氏− −宇都宮氏は、下野第一の大族たりしのみならず、泰綱、下野守たりしより
子孫 下野を称号とする者多し。
2、秀郷流藤原姓小山氏族 − − 秀郷の後裔、代々 下野国司に補せらる。小山氏、下野大介、
下野大掾たりしより、子孫 下野を称号とする者あり。
3、藤原南家 − − 伊東氏の中にも下野守あり、伊東祐氏 下野守たりしなり。
又、その支流の二階堂氏の中にも役職に就く者あり。太平記に二階堂下野判官行春とあり。
4、清和源氏足利氏族 − − 足利氏も下野発祥の豪族なれば、一族この国号を称号とする者あり。
又、その支流の細川氏の中に細川宮内少輔、細川下野入道などありて、室町時代、下野家と
称される。
5、赤松氏族 − − 応仁記に「赤松衆、下野氏」、応仁別記に「赤松衆に下野 云々」とあり。
6、清和源氏新田氏族− −徳川氏の族にして、尊卑分脈に「得川頼有の子 頼泰(下野太郎)」とあり。
7、良岑姓 − − 良峰氏系図に「原高成−高弘−高守−高澄(下野弥六、右馬允)」とあり。
8、清和源氏小河氏族 − − 水野系譜に「小河重房−重清−清房−雅経(下野守)−雅継(下野次郎)」と。
9、但馬の下野氏 − − 太田文に「城崎郡田結郷、公文給三反、地頭 下野三郎頼泰」とあり。
10、島津氏族 − − 島津忠宗の四男を下野四郎時久と云う。
11、宗氏族 − − 宗氏系図に「惟宗判官知宗−某(下野次郎)」とあり。
12、水戸の下野氏 − − 幕末、水戸藩士に下野遠明あり、勤王家なり。
13、他
*以上、1〜11は、国名或いは父祖の職名を称号とせしものにして、嫡流は、それぞれの氏を称す。
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