下   村(シモムラ・シタムラ)

解説

常陸に下村庄あり、その他、伊勢、羽後などにこの地名あり。

 

国土基本地図に126ヶ所あり。

 

1、後漢帝裔 中興系図に「下村、後漢 光武帝第十王子 劉填近王の末流」とあり。

2、大和の下村氏 十津川の名族にして、鎗役由緒家筋書に「上野地村、下村宗左衛門」

     又、「武蔵村庄屋 下村伊右衛門」とあり。

3、伊勢の下村氏− −度会郡の名族にして、伊勢路村シモデ下村城は、下村掃部の居城と伝えらる。

     又、多気郡の名族 北岡氏配下の将に下村仁助あり、織田氏に通ずと。

4、摂津の下村氏− −当国豊島郡の名族にして、同郡の下村五郎右衛門はェ文二年、松操庵を創立す。

5、清和源氏村上氏流− −中興系図に「下村、村上、上目次郎景盛の九代 八郎忠明これを称す」と。

6、清和源氏小笠原氏流 羽後国由利郡の名族にして、信濃小笠原氏の族と云う。由利十二党の

     一にして、蔵村下村館に拠る。矢島十二頭記に

     「下村殿、小笠原蔵人、若名を彦六と申すなり」とあり。

     又、新風土記に「下村館主は、下村彦次郎」とあり。

7、美作の下村氏− −東作志 勝南郡公文庄山下村條に「勝間田村の本陣 下村和一郎も、その姓系正し。

     中河内村にその子孫多し」とあり。

     又、安東系譜に「下村次郎兵衛」、津山藩分限帳に「百石、下村友之助」とあり。

8、橘姓渋江氏流 肥前国の名族にして、小鹿島文書に下村左衛門次郎公遠あり。

9、加賀藩の下村氏− −加賀藩給帳に「百二十石、(紋、丸内十六菊) 下村銘之助。百石(紋、丸内十六菊)

     下村左兵衛。百石(紋、丸内十六菊) 下村儀左衛門」とあり。

10、他


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