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真 田(サナダ) |
解説 |
相模 信濃などにこの地名存す。 |
分派氏族 |
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1,桓武平氏三浦氏流 − − 相模国大住都(中郡)真田村より起こる。三浦氏の
族にして、三浦系図に
「三浦義継−義実(岡崎四郎、正治二年六月二十一日卒、八十九才)
−(真田)義忠(与一、治承四年頼朝出る時、相州土肥石橋山に於いて、
副将軍を給う、討死、三十三才)−実忠(和田義盛に同心して討死)、
弟 盛実(左衛門尉)−政胤−義範、弟 義次−義氏、弟
義連」と。
2,清和源氏飯田氏流 − − 下記同様 信濃の真田より起こりしならん。尊卑分脈に
「満快六世孫 飯田実信、佐那田等の祖」とあり。
又、中興系図に「佐那田、清和源氏、本国信濃、佐名田とも、飯田三郎為実の男
小太郎真信これを称す」とあり。
3,滋野姓海野氏流 − − 信濃国小縣郡の真田(今 長村)より起り、海野氏より出づ。
昌幸の子は信幸(伊豆守 徳川に仕う)、幸村(大阪討死) 。
ェ政系譜、武鑑などに、
海野小太郎広道−幸親−幸広−幸氏−長氏(右衛門尉)┬茂氏(信濃守)−左衛門尉幸直┐ |
4,真田候− −信幸の後にして信濃松代 十万石 家紋 六連銭
洲浜 雁金、明治
伯爵
5,伊豆の真田氏 − − 第1項、真田与一の後と云う。その子「実久−実綱−為綱(真田太郎、
下野守)−盛明−忠明(伊豆岡崎 住)−実益(平太郎)」なりと云う。
6,出羽の真田氏− − 羽黒山 下旬家老にして、在庁とも呼ばる。風土略記に
「在庁 真田氏は、代々その職を伝えて失わず。今は 勢微にして知行も
なし。一山会席の時は、三先達の次にて、前寺家の上に座す。神事
法式の席へも、上下を着して出づ。先祖に真田金重郎と云いし人ありけ
るに、寺家と不和にて、一山の旧記、縁起を帯び、大鳥村の山奥に隠れ、
二度と出でず」と。
7,仙台の真田氏− − 伊達世臣家譜によるに、第3項 信之の叔父 隠岐守信尹の息子 政信、その子 守信に始まる。
守信−辰信−信成−信経=信珍−信凭=幸清−−−−
* 仙台真田氏を真田幸村の子孫と言うのは 間違い也。仙台真田家の真実へ
他
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