相   良(サガラ) 

解説

和名抄 遠江国榛原郡に相良郷あり、又 土佐にも相良庄

あり、この氏は此れらの地名を負いしにて、数流あり。

青森県弘前市、熊本県人吉市にこの地名あり。 

分派氏族

多良木、山井、内田、高橋、山北、佐原、上村、西、豊永

原、稲福、愛甲、永富、薩摩瀬、桑原、蓑毛、西橋、竹下、

外越、松木、今村、丸目、丸野、青井、小垣、萬江。 

1,藤原南家工藤氏流 遠江国榛原郡相良庄より起こる。

       家紋、丸の内に剣梅鉢、瓜の内に三引。

2,遠江の相良氏 相良文書に「頼景(建久八年十月二十八日、頼朝 信濃善光寺

       参詣隨兵、望月三郎配封の文書これあり)、三郎後に四郎に改め、肥後

       国球磨郡多良木荘に住す。法名 蓮寂」とあり。

       又、源頼朝 善光寺参詣隨兵日記に「橘次、相良四郎」とあり。

       続風土記に、榛原郡平田城(大江郷平田村)は、相良遠江守の居城なりと。

3,肥後の相良氏− −第1項の裔にて、相良家譜に「遠江守為憲より五代、佐兵衛尉

       周頼、遠江国榛原郡相良荘を領し、始めて相良と称す。その子孫 頼景、

       建久九年、源頼朝公の命によりて、肥後に下向す。男子三人あり、嫡子

       三郎長頼は、球磨郡に住し、二男 四郎宗頼は、山鹿郡に住し内田相良

       と称す。三男 五郎頼平は、玉名郡に住して、山北五郎左衛門尉と称す」

       とあり。

4,相良侯歴代

  頼景−長頼−頼親=頼俊−長氏−頼廣=定頼−前頼−實長−前続−堯頼=長続−為続−長毎=長祇=長定=義滋=晴廣−義陽−忠房┐
   ┌―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
   └長毎−頼寛−頼喬=頼福−長興=長在−頼峰=頼央=頼完=福将=長寛−頼徳−頼之−長福=頼基−頼紹、
肥後人吉 二万二千石、 家紋 瓜の内六引、剣梅鉢 明治 子爵

5,豊前の相良氏 上記 長頼、建長元年、豊前国上毛郡奈利恒の庄の地頭となる。

       後世、宇佐郡の豪族にこの氏あり、天文 永禄中、相良主水 あり

6,筑前の相良氏 − − 有名なる相良武任は、安西軍策に「相良遠江守武任は、筑前の国人なりしが、

       大内義隆に仕う」とあり。

       又、中国治乱記に「相良遠江守武任は、山口の乱を聞きて、筑前の国 花尾の城に

       籠りけるを陶尾張守より野上隠岐守を大将として攻落す」とあり。

       この相良氏は、同書に藤原武任と載す。

7,他


* 「ルーツ発見・名字の由来」のトップページに戻る