小 坂(オサカ・コサカ) |
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解説 |
和名抄駿河国富士郡、但馬国出石郡、備中国浅口郡に小坂郷 あり、乎佐加と註す。その他 山城、摂津の他小坂の地名頗る多し。その内 羽前 羽後の小坂は、コサカ也。又、中世、相模の鎌倉を小坂郡と呼ぶ。これもコサカ也。 この氏はこれらの地名を負う。又、忍坂、押坂の裔もあらん。 愛媛県松山市、熊本県山鹿市、大分県別府市、新潟県白根市 宮城県角田市にこの地名あり。 |
分派氏族 |
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1,清和源氏頼信流
− − 大和国式上郡小坂村より起こる。郷土記に「小坂右京進貞喜(源
頼信六代義遠の孫)小坂九郎」見ゆ。2,小坂家
− − 雲上家の称号。尊卑分脈に「洞院実泰、号 小坂」と。3,藤原姓(小郷流)
− − 美作国勝北郡梶並庄尾坂村より起こる。文亀三年八月二十三日の判書に「豊田西庄社領云々、小坂将監殿」と。
梶並六家の一にして、後世
西谷小坂村、豊田庄久常村などの庄屋にこの氏あり。又、
河原村諏訪社の棟札に「藤原朝臣、小坂七右衛門真重」と云う人見ゆ。
又、美作名門集に「小郷筑後守頼資、保元の乱
新院に組し、作州勝田郡豊田庄に配流せらる。頼資九代の孫
弾正左衛門尉在正に至り、永享年中、梶並庄尾坂を領し、氏と為す。在正四世の孫
小坂佐就の長男與太郎正就(三男與三郎長男
長房の裔、久米郡神目村に在り)の孫良房の子
小坂将監忠房、赤松氏に仕え、その子 小坂筑後保長 武功あり、その子
四郎左衛門に至り帰農したるものにして、子孫多いに蔓延し、豊田梶並
両村に亘り十数戸を超ゆ」と。4,備中の小坂氏−
− 浅口郡小坂郷より起こる。太平記巻十四、諸国朝敵蜂起の條に「備中国云々、小坂、河村、庄、真壁、陶山、成合、那須、市川以下
悉く朝敵に馳加わる」と。
又、備中巡礼記に「杉山城は東小坂村に在り小坂越中守これに居る」と。
5,桓武平氏小早川氏流
6,石見の小坂氏
7,清和源氏井上氏流
8,諏訪神家有賀氏流− − 信濃国諏訪郡小坂村より起こり、小坂城に拠る。有賀氏の
支族なりと。諏訪神家系図に
「新大夫篤光−敦信、弟 宮所四郎敦重−助忠(小坂左近将監)」とあり。
諏訪上社の両奉行行事政所にこの氏有り。
9,桓武平氏良文流
10,伊豆の小坂氏
11,清和源氏義光流
− − 尾張国春日井郡上條城(上條村)の城主にして、小坂孫九郎雄吉など諸書に見ゆ。雄吉、小坂助六などは皆、前の村の人に
して、織田信雄の家臣なり。ェ政系譜
義光流とし、織田氏の臣、小坂政吉の後とす。家紋、七星、桧扇。
12,桓武平氏貞盛流
13,但馬源姓
14,大和の小坂氏
− − 家伝史料に「御酒屋小坂氏、本国生国とも大和。御酒屋小坂治左衛門、私儀、ェ延元年十月、父時の通跡御酒御用、野澤伴次郎、
青山忠兵衛
申し渡され候。始御目見の儀、父時の通罷出べき旨、同年十二月十五日、宮内少輔殿仰せ渡され候旨、江口文左衛門申し渡され、
当年迄八年
相勤め奉り候」と見ゆ。15,他
* 「ルーツ発見・名字の由来」の
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