大   伴

解説

伴は部と言うに同じ、部も又 伴と訓めり。大伴をも又 大部

と記すによりて、容易に知れり。大伴なる氏名の多くはこの

判部を率いしよりの称なり。よって 大伴氏とは単に、道臣命

の後裔なる大連家の大伴氏に限らざるなり。

大伴直・大伴君・大伴臣・大伴首 などは、諸国にある大伴部

の首長なり。

大伴なる氏名は、弘仁十四年に至り、淳和天皇の御諱なる

大伴に触れるが故に、御名を避けて、単に伴氏と云う事と

なれり。されど 後世 大友は大伴とその訓 同じために、

これを混合して 大伴と載せたるものもあり。

分派氏族

 

1,大伴連 天孫降臨以来の名族として 史上に有名なり。

2,大伴宿禰 大伴連が宿禰姓を賜ったものなり。

3,武蔵の大伴氏 武蔵 大伴直(多摩郡の郡領家)の族なり。「大伴赤麻呂は、

       武蔵国多摩郡大領なり。天平勝宝元年冬 十二月十九日を以って死す」と。

4,相模の大伴氏 鶴岡八幡宮の神主なり、三河大伴氏の族と考えらる。

       神職元祖を中務大輔(主殿大夫)清元(忠国)と云う。

       鶴岡社職系図によれば、大伴氏の如くも大友氏の如くも見え、忠国の譜

       には「藤原を以って姓となし、大伴を以って氏となす、又、牡丹紋を

       賜う」とあり。

5,三河の大伴氏 寛永系図に「景行天皇御子 武持宿禰に命じて、大伴姓を賜り、

       初めて大臣に任ず。後裔 中納言大伴家持 云々」と。

6,他


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