大   平

解説

三河 遠江 駿河 近江 下野 岩代 磐城 陸前 羽前 越後 土佐

などにこの地名有り。

オオヒラ・オオダイラの地名全国に293ヶ所あり。

分派氏族

 

1,秀郷流藤原姓蓮池氏流 土佐の名族にして、七守護の一なり。高岡郡蓮池城

       に拠る。土佐遺語に「蓮池城は、大平氏十三代これを伝領す。大平は

       東鑑に権頭家綱の後なり。蓮池氏は、その相承する所、詳かならず。

       その旧記に見ゆる者は、永享九年、嫡男 隠岐守藤原国文、永正元年、

       大平山城守国雄、同五年、藤原元国、十三世を伝え、四百年を歴る。

       天文の末、元国、一條殿の為に亡ぶ所となる。永禄九年、遺子 権頭某、

       戸波積善寺に自殺す」と。見聞諸家紋に、左三つ巴。

2,秀郷流藤原姓近藤氏流 讃岐国三野郡の名族にして、全讃史に「大平城、和

       田村に有り、大平伊賀守国祐ここにおる。国祐、姓は近藤、田原藤太秀

       郷の裔なり。その家譜に曰う、秀郷十三世の孫 国時、采を駿州大平郷

       に食す、因りて大平を氏となす。その五世の孫 国隆、讃岐の三野郡仲

       村及び財田を食邑とし、山地右京進の麾下となる。山地氏亡び、香河氏

       の麾下に属す。勇を以って名を揚げ、後 村を失う。剃髪して仏に帰し、

       法華経を懐きて、推門海に投じて死す。その男 国常、仙石氏に従い、

       豊後に於いて戦死す。次子 僧となり、寅瓊と云い、善通寺に住し、

       終に嗣を絶つと云う」と、一項の同族なり。

3,宇都宮氏流 下総国都賀郡及び芳賀郡に大平村あり、ここより起りしならん。

       宇都宮氏の族にて、親朝の裔なりと云う。

4,太秦(ウズマサ)姓 薩摩国伊佐郡大口城は、牛山城とも牟田口城とも云う。

       安芸判官 平基盛の裔 牛屎氏の居城なり。基盛の子 薩摩守信基、保元

       の軍功によって薩摩国 牛屎院、祁答院の両所を賜う。その四男 薩摩四

       郎元衡、保元三年八月 牛屎院に下り、世々 院司たり。よって牛屎を氏

       とす。牛屎信基の曾孫 大平太郎元光、霊夢によって太秦宿禰姓に改む。

5,橘姓 近江国坂田郡大平村より起こる。もと岩室を称す。橘氏にして俊家の

       子 家次(織田信孝の臣)を祖とす。家紋、丸に橘、

6,他


* 「ルーツ発見・名字の由来」のトップページに戻る