荻   野

解説

相模国愛甲郡に荻野郷、伊勢国安濃郡に荻野庄、岩代国耶麻郡に

荻野村あり、これらより起る。

千葉県八日市場市、兵庫県伊丹市、新潟県長岡市にこの地名あり。

分派氏族

 

1,武蔵小野氏流(又 村上源氏)− 海老名氏より出づ。海老名荻野系図に「村上

       天皇−為平親王−顕定−資定−有宗−有兼(相模守)=季兼(海老名源

       太郎・横山盛兼の子)−季定(海老名源八・相模守)−季時(荻野五郎・

       頼朝の為に誅せらる)」と。

       又、浅羽本本間系図に「源氏、紋、十六目結」とあり。

2,但馬の荻野氏 但馬国大田文に「高田庄 三町三反百四十歩、地頭、荻野三郎

       頼定」とあり。

3,桓武平氏鎌倉氏流 − − 相模国愛甲郡荻野より出づと云う。東鑑二十四、建保六年條に

       「荻野二郎景員の父、梶原平次左衛門尉景高」、又、四十八に「荻野新左衛門尉」と、

       又、承久記巻二に「荻野二郎左衛門(鎌倉)」とあり。家紋、丸に違鷹羽、丸に二引。

4,武蔵の荻野氏 風土記稿榛澤郡條に「荻野氏、名主なり、先祖は 荻野家繁

       とて、世々 由良家に仕えしものといえり。当村大日堂 天正十一年の

       棟札にもその名見えたれど、家系を伝えざれば詳なる事は知らず。今の

       名主 七郎兵衛の曾祖父 七郎兵衛、ェ保ニ年の洪水、宝暦元年の凶作に

       麦百俵、この辺の村村に与えて助力せり。祖父七郎兵衛の代に至りて、

       又、安永九年六月、洪水 秋作ことごとく水腐し、村内困窮に及びしに、

       麦二百俵を助力し、その上 秋の貢ぎ物をば皆に代わりて納めしかば、

       御代官 布施弥一郎の奉りにて、賞行われ、銀子十枚を賜い、その身

       一代帯刀を許され、苗字は子孫まで免じたまわる。その後 天明三年、

       浅間山噴火おびただしく砂降りしかば、泥土をことごとく、田間に押し

       流しぬ。農民の困窮言語を絶し、この時も己が力を以って手当てし、

       すたれんとせし田地を起こし返えしかば、又、賞せられて銀七枚を賜る。

       同年利根川修理のことに預かり、心を用いる事大なれば、又、銀十枚を

       賜うと云う。今の七郎兵衛に至りても、村内困窮なる者あれば、米銭を

       与え、飢渇を救い、他村の窮民などにも米銭を与え、その足らざるを補

       うと云う」と。

5,丹波の荻野氏 − − 太平記巻八に「丹波国の住人 荻野彦六朝忠」、巻三十二に

       「荻野尾張守朝忠」とあり。

       丹波志に「氷上郡上ヶ成松村 荻野氏(先祖は古城主 勝田氏家臣、荻野又三郎)、

       柿芝町荻野氏(先祖は荻野宿之亟と云う地侍なり、宗連寺を開基す)、下新庄村

       荻野氏(先祖は保元年中に上本庄に住して、六十年後に荻野尾張守 当村に住む。

       それより三国の福井に住し、後、三国は弟に譲り尾張守は、下新庄に来る、又、

       尊氏に仕う)、本郷村 荻野氏(先祖は稲継村古城主 稲継壱岐守の家老)、南由良村

       荻野氏(古家、本家六代目、今、荻野良助、分家共五軒)、沼村 荻野氏(先祖は

       播磨国より来り住す、芦田出雲守の時代なり)、田路村 荻野尾張守朝忠(古家、

       朝忠より七代安朝四代 荻野新十郎安朝 当村に住す、永正二年中也)、池ノ谷村

       荻野氏(先祖は荻野彦六なり、葛野の高山寺に篭もる。足利尊氏公、桑田郡篠村八幡に

       落ち来り給うと聞きて、駆けつけ御味方仕り、子孫 喜右衛門 当村に浪人来住す)、

       野上野村 荻野氏(藤棚与四郎と云う、元禄持高 二百石)、多田村 荻野氏(石見守、

       和泉守、同家也)、棚原村荻野弥太夫(豊臣太閤の時、ここの地侍、太閤より馬草を

       御所望の御書簡あり、堀構えの屋敷、土居斗残れり、堀之内と云う)、加茂郷上野

       荻野刑部(赤井家臣、黒井落城後、同市之進方に来り、その子 又左衛門ここに来住す)、

       下竹田村 荻野氏(往古は二里四方の山川糀屋運上を取也)、美和郷乙河内村 荻野丹後(

       赤井氏家老)、朝日村 荻野弥四郎(大永の頃の人なり)、朝日村 荻野八左衛門勝家(

       天正の頃 十八人の内)、山田村 荻野和泉守(本黒井城主)」とあり。

       又、籾井家記に「七組の家と申候は、第一に荻野の城主 荻野彦六左衛門朝道、

       これは、荻野彦六郎定朝の末孫なり」とあり。

6,甲斐の荻野氏 − − 上記 荻野朝忠は、当国に領地を有す、その後裔もあらん。

7,参河の荻野氏 − − 三河国額田郡富尾村 富尾城主に荻野勘兵衛ありと云う。

8,伊勢の荻野氏 − − 当国安濃郡に荻野庄あり、この地名を名乗りしもあらん。   

9,菅原姓植月氏流 美作国にあり。植月氏系図に

       「植月重長−重可−可直−直連(荻野兵庫頭、住 勝田郡野田村構、

       母 荻野但馬守の娘)、弟 直貞−永経(三河守)」と。

10,藤原南家二階堂氏流− 新編常陸国志に「荻野、奥州二階堂の族なり。戸村本

       佐竹の譜に『佐竹義盛、家督を継ぐ時、荻野治部大輔、近習の宿老、

       岩瀬二階堂の一族なり』とあり」と。

11,他


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