野  々  村 

解説

数流あり。 

分派氏族

 

1,尾張の野々村氏− 海部郡津島の名族にして、十五家の一なり。野々村三十郎は、

       織田信忠に仕えて殉死し、同 主水正は 佐々成政に仕え、加賀国河北郡

       倶利伽羅城を守る。系図は「(中興)幸許(野々村常陸守、本国丹波、

       公方家に仕う)−幸之−幸政(野々村三十郎、生国 尾州、天正十年六月

       二日、信忠卿に供奉し二條にて戦死)−幸成(伊予守、始め吉成と号し、

       後に吉を改めて幸となし、秀吉 秀頼公に仕う。元和元年五月七日、大

       阪にて戦死)−幸次」と。

       次に幸成の弟「迅政(野々村因幡、始めの名は右衛門九郎、後に因幡と

       号す、生国 尾州、秀吉公に仕え、御勘気を蒙りて高野山に蟄居、後に

       山内一豊、遠州長浜浪人分にて、忍んで罷り有り、慶長五年、一豊、

       土佐国を拝領し国政を司る。)その弟 幸包(野々村四郎右衛門、生国

       尾州、始め中村式部少一氏に仕え後、家康 秀忠公に仕え、千五百石を

       領し、御使番役たり。ェ永二年正月二十日卒、五十五歳)」とあり。

2,藤原姓− ェ永年中、野々村清兵衛仁清あり、仁和寺宮に仕え、播磨大掾藤藤政

       と云う。土佐国尾戸村にて朝鮮陶法を学び、入京してまた、清閑寺陶工

       宗伯にその業を問い、遂に名匠となる。産寧坂に窯を建て、専ら茶器を

       作る。清水焼これより大いに起こる。

3,他 


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