西   川(ニシカワ・ニシガワ)

解説

播磨に西河庄あり、その他 岩代、越後、三河、近江、紀伊、美作

備後、土佐などにこの地名あり。

 

国土基本地図に77ヶ所あり。

静岡県磐田郡龍山村、佐賀県小城郡小城町のは「サイガワ」と読み、

大分県豊後高田市のは「ニシゴウ」と読む。

 

1、大和の西川氏 吉野郡の名族にして、西河村(川上村)より起こり、峰川戸壘に拠る。

     国民郷土記に「峰川戸山城、西川兵庫」とあり。

     又、大和志料に「西川兵庫(征西の宮に従い西国にて討ち死す)、西川但馬 云々」とあり。

2、 清和源氏 島ヶ原一族にして、家紋 三星に一文字。

3、藤原姓 近江の名族なり。家譜に「先祖は武蔵児玉に住す。正慶 建武の頃、近江に移り

     佐々木氏に従い、久徳氏を称せしが久徳三河守光時の子 秀範に至り、西川と云う。

     家紋、亀甲」とあり。

     又、ェ永系図には「秀範を蒲生郡 西川孫右衛門広清の男」とあり。当国 西川氏は蒲生郡史に

     「蒲生郡西川村より起る。応仁の乱日記に西川備前守あり」とあり。

     又、伊香具神社鐘銘に「近江国 長浜鋳師 西川治兵衛尉」とあり。

     秀範の裔はェ政系譜に

     「秀範(上人、足利義政に仕う)−慶順−賢珍−弟、診舜−朝賢−舜興(法印)」とあり.

     又、当国の儒者に西川瑚あり、国華と号し、綾部侯に仕う。

4、美濃の西川氏 ェ政系譜に「仁右衛門貞則(美濃大野村領主、信長に仕う)−仁右衛門貞景

     −与左衛門貞重−仁右衛門貞政、家紋、雁金、九曜、六枚笹」とあり。

5、清和源氏村上氏族 信濃の名族にして、尊卑分脈に

     「上野三郎康宗−判官代家清−蔵人基清( 西川蔵人)−家長」とあり。又、

     中興系図に「西川、清和源氏、本国 信濃水内郡、上野家宗六代蔵人基清これを称す」とあり。

6、幕臣源姓 ェ政系譜は清和源氏とし「清左衛門−清左衛門正栄−同 正義−同 義郡

     −清兵衛義惟−清左衛門義武−久之丞義徳、家紋、井桁の内に九曜、九曜」とあり。

     上記の族か。

7、武蔵の西川氏 多摩郡の名族にして、新編風土記に

     「宗関寺の門前に住する医師に西川氏あり、先祖は北條家の医師なりと云う」とあり。

8、下総の西川氏 藤間勘兵衛の門人 藤間勘助(芝居振付師) その家を興し、四世は西川扇蔵と称す。

9、酒井氏族 丹波国多紀郡の名族にして、矢代酒井氏の庶流なり。氷上郡に存す。

     丹波志に「西川氏。子孫 田井縄村、先祖 由良村別所豊後守、落去の浪人、子孫 藤兵衛」と

     あり。

10、森氏族− −美作国苫田郡綾部村の名族にして、森侯の分裔 森万右衛門正忠、鶴川妙願寺にありて 

     当村 西川の埋地を賜う。その二子 長右衛門正重、重右衛門正勝の裔なりと云う。

11、清和源氏 紀伊国牟婁郡の名族にして、第5項の族なり。続風土記 七川谷郷西川村條に

     「旧家源大夫。多田満仲の裔 村上蔵人顕清 四代の孫 刑部少輔清重の後なり。承久三年、

     官軍に属し戦破れて当荘玉山に蟄居す。後 当村を開墾し自ら近郷を領して西川庄司と称す。   

     その孫 清定、永和年中 南朝に属し、その裔 源之丞と云う。村民 この家を呼びて坊と云う。 

     今、多いに零落すれども、余風尚存せり」とあり。

     又、七川谷郷 西川村條に「十二社権現社。承久三年、源清重 当村に蟄居し当地を開墾し、

     元仁元年、当社を勧請す」とあり。

     又、「神主 朝日主馬、その祖詳ならず。慶長十四年 吉田家より与える伝受書を蔵す。代々

     神職を勤む」とあり。

12、貴志党 紀伊の名族にして、那賀郡新荘村、旧家地士に西川安兵衛あり。

     「その祖を西太郎左衛門尉信清と云う。西左衛門四郎の末孫なりとぞ。当郡貴志の荘

     開起の家筋なり。旧 貴志の荘中に十二人の番頭あり。その内二人を沙汰人と云いて、

     荘中の事を支配す。当家はその一人なり。その頃、根来寺、貴志の荘を押領せんとす。

     信清 衆徒を率いて根来の衆徒と戦い、ついに戦死す。信清の子を信高と云い、信高の子を

     信重と云う。信重、雑賀孫七と戦いて、首百六を得たりと云う。その首塚は、尼幸村にあり。

     信清より信重に至るまで帯せし大刀二振、今、貴志宮村 八幡宮に蔵す。子孫 西川と号し、

     世々 当村に住す」とあり。

     西山村地士に西川藤五郎あり、新荘村西川氏の分家なりと。

     又、同郡小倉荘大垣内村地士に西川喜右衛門あり、新荘村西川安兵衛の分家なりと云う。

13、伊予の西川氏 当国の名族にして、南海通記などにあり。宇和郡西川城主なりと云う。

14、秀郷流藤原姓結城氏族 肥前の名族にして、大村藩士系帳に

     「結城親光庶流にて、藤原親秀(結城六郎)−秀氏(西川次郎)」とあり。

15、秀郷流藤原姓− −伊藤氏の庶流にして系図は「半助正道−正陟−正保、家紋、丸に釘抜、梅鉢」。

16、浪花の西川氏 あやつり人形師に西川伊三郎あり、従来の三人から 一人で一体の人形を

     操る独特の手法の人形芝居を始める、元祖 西川伊三郎は吉田氏なり。二代は萩野忠二郎、

     伝えて五世にて明治に至る。西川伊三郎一座と云う。

17、京都の西川氏− 浮世絵師に西川祐信あり、宝暦元年卒、その子 祐尹 得祐斎と号す。

18、他


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