長   山(ナガヤマ)

解説

三河に長山荘あり、その他 常陸、陸中等にこの地名あり。

 

国土基本地図に16ヶ所あり。

 

1、藤原南家 熱田大宮司族 三河国宝飯郡長山荘より起る。尊卑分脈に

     「季範− 範信−範清−季茂−能茂−能藤(判官代、号 長山)」とあり。

2、清和源氏佐竹氏族 美濃佐竹系図に

     「(北酒出)光家(常陸介、母は土岐鷹司兵部少輔冬親の妹)−澄常、弟 基親(長山左門)」と。

3、遠山氏流 太平記巻三十二に「赤松弾正少弼氏範 遥かに落ち行く武士を見、これは聞こゆる

     長山遠江守ござんなれ。長山殿と見るは僻目か」とあり。

     堀口系図に「貞満の娘(長山遠江守頼基室、遠山式部少輔光景の母)」とあり。

4、室町幕臣 永享以来御番帳に

     「五番、長山左馬助入道」、文安年中御番帳に「五番、長山右馬助入道」とあり。

5、桓武平氏相馬氏族 相馬系図に「弾正忠胤実−下総守胤徳−修理亮胤広−胤貞

     −左近大夫胤晴−胤信(信濃守、長山庄司)」とあり。

6、桓武平氏大掾氏族 常陸国の名族にして、新編国志に「長山。行方郡長山村より起こる。

     行方幹平の二子 知幹与一次郎と称す。長山に居る、よって氏とす」と。

     その後の系図は「知幹−常幹−秀幹−則幹−止幹−宗幹−貞幹−弘幹−幹綱−政幹−幹氏」。

7、桓武平氏岩城氏族 −岩城の名族にして、仁科岩城系図に

     「常朝(隆弘、常陸守)−清胤(下総守隆衡)−隆友(長山五郎)」とあり。

     又、当国石川郡須釜八幡宮円鏡裏銘に「天正十年九月吉日、岩城大工 長山対馬守重吉

     これを造る」とあり。

8、藤原姓 加賀発祥と云う。ェ政系譜に「久右衛門直政−弥三郎直利−藤右衛門直張、

     家紋、丸に洲浜、餅菱の内に花菱」とあり。

9、画家 長山氏− −江戸中期、秋田の人 四條派の画家に長山孔寅あり、その門に長山孔直あり。

10、他


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