長   瀬(ナガセ)

解説

和名抄、伊勢国鈴鹿郡に長瀬郷を収め、奈加世と訓ず。

同地に長瀬神社 鎮座す。

大和に長瀬庄あり、美濃に長瀬郷あり。その他 陸前、岩代、越後

信濃、三河、河内、伯耆、肥前にこの地名あり。

 

国土基本地図に74ヶ所あり。

 

1、清和源氏 信濃国小県郡長瀬村より起こる。

     平家物語に「木曽殿家の子に長瀬判官代重綱」とあり。

     又、源平盛衰記に「木曽の従弟に信濃国住人 長瀬判官代 義員」とあり。

     又、承久記に「官軍 判官代 長瀬左衛門尉は、五百人を以って槙島を防ぐ」とあり。

2、入野氏族 常陸の名族にして、新編国志に「長瀬。上入野の支流なり、長瀬の地名 今は

     伝わらず(那珂・久慈の辺にありしと見ゆ)。戸村本佐竹譜、近習士の内に『長瀬、入野の

     二男、鎌田へ養す、外様なり』とあり。鎌田は甲斐の浪人にて元は佐竹の重臣なり」とあり。

3、菊池氏族 肥後の名族にして、菊池系図に「菊池二郎武房の子 武成(長瀬七郎)」とあり。

     後世、肥後の歌人に長瀬七郎平真幸あり。

4、藤原姓高木氏族 肥前国佐賀郡長瀬村より起こる。

     鎮西要略に「太宰大弐季貞の仲子 三郎大夫季平は国分氏、長瀬氏、富崎氏の先祖」とあり。

     龍造寺系図に「季家(龍造寺、初め高木と号す、南次郎)−季益(長瀬 南三郎)、弟

     保家(長瀬四郎)、弟 覚勇(長瀬阿闍梨)」とあり。

     又、河上淀姫社 至徳元年十月二十四日 文書に「長瀬駿河守、右衛門佐」とあり。

5、赤松氏族 播磨、美作の名族にして、長瀬系図に「正則(長瀬三郎兵衛。村上源氏、

     小谷江見の氏族也。浦上宗景の臣、三星山に篭城、作州八田村に長瀬屋敷あり、

     三星落城後、柿ヶ原村 )−則晴(三郎右衛門。作州英田郡田原村住)、弟 正晴(三郎兵衛)」。

     「正則の弟 久六、その弟 与五郎(継目状、感状あり)−助右衛門−四郎兵衛−新兵衛、弟

     助五郎、四郎兵衛の弟 加右衛門(弟一條院は津山妙法寺 住職)−難波藤左衛門」とあり。

     英田郡江見庄 田原村世話役に長瀬三郎右衛門 及び同 三郎兵衛あり。

     家蔵文書に「先給の旨に任せ、当地差し遣わし候、奉公肝心に候也。依って継目状、

     件の如し。永禄九年十一月十三日、久盛花押、長瀬与五郎殿へ」とあり。

     又、「小吉野庄大町中野平兵衛 御分捕の事、比類なき御高名、感心致し候。恩賞

     是非沙汰すべき者也。十月、宗景、長瀬与四郎殿」と。

     又、安東系譜に「上福原村 長瀬善左衛門」とあり。

     又、苫田郡上横野村に長瀬氏あり、尼子久盛の臣 長瀬三郎兵衛の末と称す。

6、石見の長瀬氏 菊池氏族 長瀬七郎武成の弟「武経(八郎、石見 長瀬氏祖)」なりと云う。

7、阿波の長瀬氏 当国美馬郡の長背村より起こる。貞光村の棟札に長瀬太郎次郎の名あり。

8、他


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